電車や駅、人混みの中で、大きな声で叫ぶ人がいる。
時々、そういう場面に出会う。
先日もそんな場に居合わせた。
何が起きたのか?とどきっとする。
座席のことで、もめているのか、ひとりで叫んでいるのか。
あまり大声が続くため、そこを見ると、年配の男性が
ひとりの若者に向かって叫んでいる。
何があったのだ?
車内は凍り付いていた。
それはそうだ。大声、叫び声、怒鳴り声は恐怖である。
電車が駅に止まっている間も、その叫び声が続き、さすがに運転席にも
聴こえたのだろう。ワンマンカーで車掌がいないため、運転士さんが
現場に駆け付けた。こんなことで電車の発車時間が遅れるのは困るが
でも、そのままにしておけない。
まずは大声を出している本人に、どうしたのか?とたずね、とにかく
静かになるようにうまくとりなす。本人は運転士に駆けつけられて、
我に返ったのかおとなしくなった。
次に運転士は大声でわめかれた若者に近づき、すみませんね。と謝る。
若者は、いえいえ。という普通の感じ。
運転士の仕事も大変だ。事件になっては一大事だ。うまく収めなければ・・。
自分が悪くなくても謝る仕事は理不尽だ・・・。ともあれ、電車が運転再開となった。
この間、車内は凍り付くような沈黙であったが、運転再開となり、日常が
戻った感じ。
大声を出していた人は、若者に近寄って、詫びていたようであるが、それも
大声であり、若者は適当に流していた。
次の駅で私は電車を降りた。その若者も降りてきた。
改札出てから、
「大変だったね。大声でわめかれて。いろんな人がいるからね。」
若者はどんなに大声を出されても こらえて黙っていたのだろう。
「いえ、車内がうるさくなってしまって、申し訳なかったです。
ご心配ありがとうございます。」と笑って、去っていった。
電車でもバスでも、店の中でも、道端でも、知らない人に絡まれ、
大声でわめかれたり、暴力をふるわれたり、そんなことがある。
あってはいけないけれど、ありえる。
大声の人は
「わしは、障がい者やから、ここに座らせてくれ~」
と言っていた。席がたくさんあるのに、他の席もありますといったら
怒り出したようであった。
ちょっとしたことで事件になる。その発端は、些細な事こと。
でも、本人からすれば一大事なのだ。だから叫ぶことになる。
大声を出す人は、わかってほしい、大声を出すしかすべがないのかもしれない。
自分は生きているという証しなのかもしれない。
と思うと、大声を出されれば出されるほど、悲しくなってくる。
そう表現するしかないのか・・・。
叫び。心の叫び。苦しいものだ。
わかってもらいたい。わかってもらえない。
そんな積み重ねが叫びになっていくのだろうか。
声の大きさ。
ビジネスや普段のコミュニケーションでも
大勢の前でプレゼンするときなどは、
しっかり大きな声で‥と心がける。
より伝えたいからだ。
と同じように、叫ぶほどに大きな声になってしまう人も、
伝えたい、わかってほしいという願望なのだろう。
大きい声が悲劇につながらないように。
ちゃんと伝わるように、
また相手が何を言いたいのかをよく聞き分けることができるように
耳を傾ける余裕もほしい。
いろんな摩擦が起きる日々ではあるが、
理解しあえる世の中に近づきたい。心のゆとりをもって。。。
叫ぶ人の心は。
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