ストリートピアノ、駅ピアノ・・・。
街角にピアノを置いて自由にどうぞ・・という動きが
全国、いや世界的に普及している。
まだテレビ番組にもなっていない頃は海外の空港や駅で見かけたし、
一度だけ、パリの北駅で小さな古びたピアノをみつけたとき、
ああ・・と弾いてみたいな・・・と思ったが、
周囲で疲れて休んでいる旅客を大勢見つけた時、睡眠の邪魔に
なっては・・と気が引けて、諦めた経験がある。
駅ピアノではないが、15年ほど前の話。イタリアのナポリのホテルに
泊まったとき、朝食をとるレストランに向かう途中の大広間に大きな
グランドピアノがあった。どうしても、それでイタリア民謡を弾きたくなって
支配人にお願いしたら、歓迎してもらえて、そして演奏をさせてもらった。
朝食に向かう通路にもなっていたので、通る宿泊客が興味深く覗き込み
あたたかい拍手を送ってくれたり、なんといってもホテルの従業員が
喜んでくれて、チェックアウトのときには、記念品までいただいた・・。
と、そんなことをなぜか、今思い出した。
一生の宝物・・そんな素敵な思い出だ。
演奏は、弾き手と聴き手がある。
聴いて喜んでいただける演奏をしなければ、人前で弾いてはいけないような
そんな気がしている。
最近は、さらにその気持ちが強い。
自分は弾いていて気持ちよくても、騒音に感じる人や感じる時があるはずだ。
公共空間での演奏は本当に気を付けなければならない。
名古屋でも、京都でも雑踏のなかや、静かな場所で大きな音でピアノを
鳴らし続ける人を見て、なんとも・・な気持ちになった。
ここは、コンサート会場でもライブ会場でもない。
音は騒音になり、迷惑になる。
いやいや、気持ちを切り替えて、せっかくなので音楽を楽しみましょう。
という気分になれる時ばかりではない。
公共空間と演奏、大きな音での発信。
受け手にとって、歓迎でないときもあるかもしれない。
だから、そこでは弾かない。
喜ばれる場所で、ちゃんと弾きたいし、歌いたい。
このことが、騒音問題になっているとも新聞で読んで、
社会問題にもなっているのだ。。と改めて認識。
音は難しい。
場所と時と相手を選ぶこと。
プロでありたいならば、喜ばれる演奏を
しなければならない。
ピアノに限らず、楽器や歌う声の騒音は、本当に悩ましい
ことを忘れず、わきまえて演奏の場を考えるようにしたい。
喜ばれてこその演奏を。
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