新潟で久しぶりの会食を企画する。ぜっかく行くので、コロナも少し落ち着いたので・・・ということで、数年ぶりにコンタクトする。
すぐ行きます!と言って下さる方もおられる一方、会いたいけれど都合がつかないので
次回また声をかけてとの返信、または近況を聞かせてくださる方とか・・。
さまざまな反応に、ありがたいと思う。それぞれとの懐かしい日々がよみがえる。
返信があれば、元気でおられる証拠、覚えてもらえている証し。
まずそのことに安堵する。
ふと、数年前、10年前であったら、このように声をかけたら、すぐ反応があって、
お手伝いしましょうか?などおっしゃってくださる元気な方もいた。
遠方からわざわざ出向いてくださる方もいらっしゃった。
そう、その方たちとは、もうお会いすることはできない。
その当時を懐かしく思い出すのみだ。
時は流れる。年もとる。環境も変わる。
そんななかでも、ともに元気でいられること、そして久しぶりの再会が果たせることは
最高の歓び。
これから、さらに時が流れれば、さらに違う変化を感じ、いろんな思いを抱くことだろう。
わたしの新潟縁。細い糸ではあるが、強い糸だと思っている。
その糸を時間が経っても切れないように、しっかりと心に結んでおきたい。
いろんな企業さんとのこと、どれだけの出会い、学びをいただいたことか。
感謝を忘れず、紡ぎ続けたい。
改めて、生きていたら、また会える。と思う。
そして、残念ながらもう会えない素敵な人たちが、今も応援してくれている。
と、そう信じている。
「新潟をよろしくお願いします!」
そう言ってくれた人は、その後、富士山で一生を終えた・・・。
今日も新幹線でそこを通過するとき、改めてその人のことを思い出すだろう。
生きていればこそ会える。
そして、会えない人のことも思い出せば、心で再会できる。
わたしの新潟縁は、一生つづく。
今日という一日も、大切に生きたい。
消えない、切れない新潟縁。
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