広島の土石流での事故から1年。4年半前の東日本大震災もそうであるが、そこで亡くなられた方のご家族の気持ちは、時間が経っても癒えることが難しいと思う。
その広島での話であるが、何年か前に、都会暮らしから実家へ帰り、親の面倒をみなければということで近くに家を建てた40代後半の男性。親のすすめで選んだ土地。そこで土石とともに流され、亡くなったという。生き残ったご両親はずっと忘れることができず、その流された場所に花壇を作り、毎日その花を手入れするということで、そこに来てお参りされているとのこと。毎日息子に会いに行くという気持ちでの行動だそうだ。事故から1年。キレイな花が咲き始めている。その花に手を合わせて拝む両親。お母さんが「〇〇くん、すまんかったね。」と詫びておられる。お父さんが「息子にあの土地をすすめたのは私たちなんで、そんなこと言わなきゃ、死ぬこともなかったのに・・」と話されている・・そんな姿が胸につまった。
このご両親は、一生、この花壇の花を手入れするという供養をしながら、息子に申し訳ないという気持ちを持ちながら生きていかれるのだろうか・・。
親に「すまんかった」と思われるのは、子どもとしては、この上なくつらい。
出来る限り、いろんな意味でそうならないように。最後、笑顔で「ありがとね」と
別れができるようにしておかねばならない。
いろんな人災、天災が人々の幸せを奪う。そのことも覚悟しながら、日々のさまざまな行動にも細心の注意を払って生きることが大切だ。
「すまんかった」ではなく、「ありがとう」で結ぶ人生、目指していこう。
時間は経過しても、改めて、被災された皆さんのご冥福をお祈りし、遺族の方にお見舞いを申し上げたい。
「すまんかったね」と言わせない
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