やなブラ懐かし・・で終わらせない。

わがふるさと岐阜市は、岐阜県の県庁所在地であり、人口約40万人の地方都市である。
名古屋のベッドタウンとしてそれなりに開けており、郊外の一部には若い世帯が移り住み、
人口が増えている地域もあるが、空き家も増えている。
郊外には、他の地域と同様、大型SCができており、車社会のこの町での買い物や食事は
この郊外で事足りる。駐車場も大きいため、便利であり、家族層にも使いやすい。

一方、私が子供の頃、昭和40年代、街なかが繁栄していた。
「柳ケ瀬」といわれる商店街は大変にぎわっていた。多くの商店が軒を連ね、飲み屋街もあり、「柳ケ瀬ブルース」という演歌が大ヒット。その名は全国に知られるきっかけになった。
私が小学生の頃は、近鉄百貨店の前身である丸物百貨店があり、そして高島屋ができた。
今でも、父と出かけた近鉄百貨店。山下清の作品展を見たこと、楽譜売り場でベートーベン
ソナタを無理やり買ってもらったことは懐かしい思い出のひとつ。
当時、駅前にはパルコもあり、岐阜はそれなりの先進的でおしゃれな地方都市なのだとちょっと自慢していた・・・。
その後、近鉄百貨店もパルコも閉店・・・。
岐阜を離れてから、岐阜の街中の活気は郊外にもっていかれた・・・。
当時、柳ケ瀬をぶらつくことを「やなブラ」と言っていたが、ぶらつく人は減少の一途・・。
商業店舗の郊外出店により、柳ケ瀬は衰退に向かった。

それでも、なんとか街なかを活性化しようと、行政や市民のみなさんの努力は続き、最近では高島屋に隣接したタワーマンションが建築されたりして、人の流れも変わるかも?と少し期待していたが・・・・。

このたびの、高島屋の来夏閉店のニュースは衝撃的であった。
今や、岐阜市民の話題はまずそれ・・。とくに高島屋をよく利用した高齢者には
懐かしみと寂しさと・・・。また私たちの年齢でも、岐阜といえば、高島屋がある。ということでのたのしみがあっただけに、これは大きなショック・・・。

高島屋があるからマンションを購入したという人も多いと思われるが、一体どうなることか。
百貨店の存続は、地方では難しくなっているのは今に始まったことではなく
今回のことも、想像はしていたけれど・・という現実。

それでも半世紀もよく持ちこたえた。
行政支援があっての維持であった。
街中に、商店街のシンボルとして百貨店は不可欠であったが、無い袖はふれない・・。
厳しい選択となった。

この柳ケ瀬はどうなるのか?
街は変わりゆくことを、今回改めて衝撃をもって受けとめている。
ふるさとが変わっていく。
それは、自分をはじめ出ていく人間がいるから・・ということも無関係ではなく
責任も感じる。

ふと、この高島屋の周囲にあるなじみのお店たちの今後を思うと、
何かできないかと思う今日この頃。
都会中心の経済。
百貨店という業態の変化。

百貨店が好きな世代であるゆえ、寂しさとなつかしさと・・・一つの時代の
終焉を感じている。
半世紀。これは街が変わるひとつの区切りなのかもしれない。
終わってはいけない。愛すべき柳ケ瀬。

やなブラ。両親の元気だった時代がよみがえる。
ああ、自分が育った昭和は、自分にも町にもいい時代だったなあ。
懐かしいだけで終わりたくない・・・。

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