いやはや、人間には記憶がまったく途切れてしまう時期があるのだ。と
我ながら驚くことがあった。
先日のコンサート。あるお客様がお客様を紹介してくださった。
名前を聞いて、なんだか聞いたことがある名前・・・とは思った。
高校の先輩だそう。そういえば、確かに・・・。でも、なぜ名前を知って
いるのか、とかどういう場面で関わりがあったのか・・・はわからない。
コンサートの当日、40年ぶりにお会いするその名前の方の顔を拝見し、
確かにこの方お会いしているし、知っている・・と懐かしい感じはしたが。
そのお客様は、とても再会を喜んでくださって、コンサートの時間、
ずーっと私をみつめておられた。その目線を感じながら、演奏を続けた。
そして、コンサートの翌日、連絡をいただき、お会いすることになった。
まだ、どこでどうお世話になったのか、思い出せないまま、でも、確かに
知っている・・・。
お会いしたとき、その方は私の40年前のことを詳しく話してくださった。
どうやら、大変お世話になったらしい。そして大変印象に残って、その後
どうしているのか、思い出し、周囲の人に尋ねたりしてくださっていたらしい。
そう、岐阜を離れ、どこへ行き、何をしていたか‥不明のまま、今回の再会と
なった。
そう、私は高校を出て、ふるさとの音楽仲間の間で、行方不明になっていたのだ。
(自分でそうしていたのだ。)
先輩は私の高校生時代のことを、いろいろ話された、エピソードがいろいろあって
驚いた。へえ、私、そんなことしてましたか?そんなことがありましたか?
大変、不思議な感覚であった。
思えば、岐阜から京都に移り住んだとき、音楽を捨てた、岐阜を捨てた。
という感覚ではあった。親に反対され、ピアノを捨て京都に飛び出たあのときの
意地・・。
以来、自分のなかでは高校卒業~大学入学前の自分のことを、その後封印して
生きてきたのかもしれない。
京都に移ってからの自分の記憶ははっきりしているが、岐阜を出る前の記憶は
とくに音楽の記憶はぷっつり切れている。
自分で記憶のチェーンを断ち切っていたのかもしれない。
思い出したくない時代、思い出してはいけない時代・・・だったのかもしれない。
と、その先輩の話を聞きながら、記憶喪失時代の自分のことを、だんだん思い出した。
・・・・そんなことがあったんだ。
「それはそれは失礼しました。大変お世話になったんですね。」
いやはや、ずいぶん失礼な私である。
その頃の自分の話を聞きながら、本質的に変わっていないのだということも
改めて知った。自分の考えをもっていて、疑問があればとことんきいてくる。
考えたこともないようなものの見方をして困らせる・・・。
規定概念、こうせねばならぬ・・ということにただ従うことができない性質
だった点・・・。今も根っこは同じだ。変わっていない・・。
自分の人生のなかの記憶喪失の時代。
忘れていた、音楽高校生時代の一コマ。
とにかく40年前の自分を、覚えている方と、今回再会したことは、
何か意味があるのだと思えてならない。
いつも思い出していれば、ずっと記憶は途切れない。
故人との関係も同じだ。
でも、忘れようとすれば、記憶は薄れ、切れていくのだ。
人間の記憶は、意思や意識と密接にかかわっていることを、改めて知る。
それにしても、自分のことをまったく覚えていない時代があったとは。
忘れたまま、一生を終えていたかもしれないのだ。
岐阜を出て、一度生まれ変わっていた自分。
記憶喪失の時代。もしかしたら、そういう経験を持つ人は少なくない
のかもしれない。
過去の記憶をそこに置いて、違うステージで新しく生きはじめる。
こんな生き方を、無意識のうちにしていたのだな・・。
ふるさとコンサートをきっかけに、ふるさとに置いてきた
自分を少し思い出せたのは、きっと意味があるのだろう。
記憶喪失の時代。
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