歴史は表舞台だけでは生まれない
裏で、水面下で苦労した先人たちの汗や涙があってこそ、
今がある。
そのことを忘れてはいけないと思う情報に接した。
それは北海道の開拓、発展の歴史。
大きな鉄道工事やダム工事に、多くの人々の命が犠牲になって
いたことを、数少ない信頼できる報道番組を見て知った。
そして、驚いた。
権力と歴史について、改めて考えさせられた。
北海道は、日本人はもとよりアジア人にも人気の観光地。
大自然とグルメ。デパートの催事でも、人気が高く北海道展
は2回に分けて開催されるほどに出展者数も多く、また
やればやるだけ人が集まる。
本州から見れば、九州の最南、最西のように、北海道も
さいはての地としてのロマンを感じる。
鉄道の旅でも、よく取り上げられ、ノスタルジックな駅と
広大な自然を見ながら、異国情緒に似た感動も覚えたり・・。
一方、このロマンチックやノスタルジーは、リスク、危険と
背中合わせでもある。
厳しい大自然との闘い、また開拓での悲劇、こういった
先人たちの多くの苦労があって、今がある。
確かに、あんな広大な土地に鉄道を通す、車が通れるように
する、人々が暮らせるようにダムをつくる・・・。
不便で人もいない未開の地であった北海道が今日のような
発展を遂げるには、輝かしい歴史ばかりがあったわけではない。
強制労働の結果、無残な死を迎えた人もあったことを今回初めて
知る。
知る人ぞ知る、影の歴史。
このことこそ、実は知るべきである。
これらの開拓の闇の部分についての研究が、オホーツク民衆史講座という
形で受け継がれてきたことを知り、早速その拠点のひとつである
北見の同窓生に久しぶりに電話をしてみた。
大学時代の唯一、連絡がとれる友人、元高校教諭。彼なら
知っているかも。
懐かしい久しぶりの電話口で、そのことを訪ねてみたら、
オホーツク民衆講座という存在は知らなかったが、影の歴史の
ことは知っている様子で、それは北海道の歴史だから・・という
口ぶり・・・。あまりそのことは語りたくない様子も伝わってきた。
地元の人には、北海道とは観光地とか、グルメとかそんな
イメージではないことがうかがえる。
これまで長崎をはじめ、殉教やかくれキリシタンなど権力に抑圧されながら
も信仰の道を守ってきた先人に関心を持ち、心を寄せてきたが、
経済発展のために、国力向上のために犠牲になった人が多くいる
ということを知り、こういった現実にも目を向けなくてはと
思った次第。
殉教者ではなく、殉難者。そういう言葉自体、初めて知り、
自分はまだまだ世間を知らないのだと恥ずかしくなる。
華やかな歴史には影がある。闇の世界がある。
それもあって、光があたっている人がいること、今日があることを
忘れてはいけない。
来月久しぶりに北海道にレコーディングに行く予定であるが、
歴史をかみしめながら、あの大地に足を付け、空を仰ぎたい。
そして、開拓に関わられた人達に祈りをささげたい。
と、強く思った。
歴史には光と闇がある。それが現実。