空が青く、大きいと、とても気持ちがいい。
実家のある岐阜もそうであるが、新潟も空が大きい町。
平野で、高層マンションなどの建築物はなく、田んぼが広がり、空は大きい。
これは、一種の豊かさであると、実感する。
今でも忘れないが、台湾の仲間たちと日本縦断の駅弁リサーチツアーを
行った際、新潟にも出かけた。
新潟駅で新幹線を降り、駅の外に一歩出たとたん、
「まあ、空が大きい~」とみんな感動して、空に向かって走り出した・・。
と、そんなことがあった。
台北のようなビルがひしめき合う都会では、ましてやバイクの排気ガスなどで曇る
屋外では、きれいな空は拝めない。
だから皆、新潟のきれいな空に感動したのだ。
空は、人が幸せな気持ちになれる、そんな存在である。
無限であり、夢そのもの。
空は人類史上、ずっとこの人間社会を包み、ときに守り、ときに脅威でもあり、
人間にはどうすることもできない、手の届かぬ存在・・。
さて、その空・・。
今、住んでいるマンションの通路から見える空がだんだん小さくなりつつある。
近隣に高層マンションが建築されているからだ。
それがなかったときは、毎朝そこから空を見上げて、「今日もいい天気だ~」
と空を仰いで楽しんでいた。まさに、「わたしの空」がある気分だ。
その拝める空が小さくなると、なんとなく寂しい。
以前、東京に住んでいるときも、神楽坂上から飯田橋駅を見渡したとき、目の前に
黒っぽい巨大マンションがそびえ立ち、空が小さくなっていくことにショックを受けたことがあった。その記憶がよみがえる、
「わたしの空」は大きい方がいい。
でも、空は私だけのものでもないし、そこに家賃を払っているわけでもないし、
本当に仕方ないことであるが、空が小さいのは、残念。
人は、空がないと、生きられない・・・。息苦しい。
工事が進み、空が小さくなって、改めて空のありがたみを思っている。
空は広くて、大きくて・・・。
やっぱり、新潟や岐阜はそこが魅力だ。
と書きながら、ブエノスアイレスの空も思い出した。
ここの空も大きくて、素敵だった。
写真は、その懐かしい1枚。
さて、今日はどんな空の下、どんな出会いが?
空としあわせ。
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