GIVEできる環境に感謝。

以前、カテリーナというハリケーンがニューオリンズの町を襲ったという
報道に接した時、その当時出会ったばかりの知人が住んでいる町だからと、
銀行にお金を振込に行ったことがあった。
同時多発テロの後の2005年のことだった。今から18年前・・。
人災や天災が続き、何かできることはないかと思っての行動だった。
振り込み方もわからず、滞在中のNYの町で銀行をうろうろしていた自分。

日本でもその前には、阪神淡路大震災、そして後にはあの東日本大震災・・・
大きな災害が日本列島を襲い、世界が応援してくれた。

最近では、地震も多く、大雨も続き、それらによる被害は頻繁に起き、
常態化している。
さらに、海外では飢餓の問題から、今回のウクライナのように
侵略戦争というおぞましい現実。それにもあまりの長さに慣れてきて
しまった。良くないことであるが・・・。
さらにリビアでの大雨、モロッコでの地震・・・・今週もさまざまな天災が
地球を襲っている。

そんな中何か自分ができることを・・と思い、ウクライナの人道危機支援には
少しでもと、昨年から支援活動を始めたが、戦争を終わる様子もなく、
いつまでこんなことをしているのか?と思うことも正直ある。
(だからといって、活動をやめることはないが)

寄付をするなら、そこ以外にも寄付しないといけないと思う事象が
本当に多く、ほんとうはすべてのことに何かをしなければならないのに、
ちょっとご縁があったとか、何か接点があったとか、心動かされるきっかけが
あったから・・とか、そんな理由から支援する先をみつけているが、
そんなことでいいのだろうか・・・。
なんだか、どこに対しても大したことができていない自分が情けない。
そんな気持ちになるほど、今、手を差し伸べなければならない人たちが
世界中に多数いる。
少しばかりの寄付をしたとて、大したお役には立てていないのであるが・・・。

いろんな災害がありすぎて・・。
自分のささやかな応援の気持ちが、ときに小さすぎて陳腐にさえ
思えることがある。

でも、人のため、自分にできることがあるだけ、幸せだ。

寄付。自分の気持ちに素直に、ここへ。と思う相手に尽くせばいい。
毎日何かしら起きている災害を知るたび、心痛く思いながら
日々暮らしている。

TAKEより、GIVEできる幸せに感謝しなければ。

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