20年以上お世話になっているデザイナーが、書の展覧会に出品すると聞き、興味をもち会場に向かった。昔は手でもって、最近はパソコンでもってグラフィックデザインの
仕事をされているクリエイター。レイアウトはもちろんのこと、文字や画像の処理もさすがで、また器用というだけではなく、目的に合った表現を提示され、どんなハードな課題でもやり抜かれるので、プロとして安心してお願いできる方。その方がどんな書を書かれるだろう?文字をどう扱われるのだろう?と興味深々。
その作品のタイトルは「一生」。この二文字が真っ白な紙に力強く表現されていた。
書も多様な表現が可能で、漢文や長文の詩を書く方もおられれば、短文を書かれる方もあり、「読ませる書」も多いが、一方、文字を図案として、記号としてとらえ、より自由に表現される「見せる書(魅せる書)」というものもある。
さすがデザイナーの書とは、後者であると感じた。そして、その二文字から伝わるその言葉の意味や、作り手の思い・・・。なんだかその作家さんの新たな一面、あるいは普段のグラフィックデザインの世界では知らなかった一面が見えてきたようなそんな気もした。一生か・・。一生とはひとつの人生という意味か?一人の人生という意味か?一度きりの人生という意味か?一生というが、単純、単独では生きられずつねに「多くのもの、人、コト」と関わるのが一生という意味か?などなど改めて考え、そして「はて、私の一生とは?」と、我が道を見つめ直すきっかけになった。
私の一生。この作品と同じように唯一の存在だ。だから悔いの内容に、一生懸命生きるのが良いのだろう。無限の可能性をもつこの作家さんの今後にますます期待したい。
「一生」の重み、多様性、幸せ・・・
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