なぜかこの作家とは縁があると勝手に思っている。彫刻家のこの大先生の息子さんを最初に知った。この息子さんも大先生。日本を代表する彫刻家で会社員時代に、勤めていた会社が図録を作っていたこともあり、へえ、こんな彫刻家がいるのだと深く、胸に刻み込まれた。そして、そのお父上がこれまたすごい!ということに最近気づき、なぜかその作品を探し求めるようになった。
衝撃的な出会いは、長崎市の西坂に約60年前に建立された、二十六聖人の像。400年以上前に、京都から長崎へと連行され、最後その地で火あぶりにされ亡くなった人たちへの慰霊の像。資料も多くなかった時代の殉教者たちのことを調べ抜き、見事な等身大の像を作ることで聖人たちを蘇らせた・・・。その作品の前に立った時、長い時間立ち止まったまま動き出せなかった。殉教者たちの苦しみとともに、その人々への祈りを込めて創られた、この作家の心中と忍耐力と想像力と巧みのあまりの凄さ、涙があふれた。作家はその聖人の一人を自身の父親のように思いながら、創作していたという記述もあり、心揺さぶられる。
この作家の名は、船越保武。岩手出身で、彫刻の勉強をしようと、上京。学生時代に住んでいた練馬区の美術館で今回、何度目かの作品との再会を果たす。クリスチャンらしい清らかな祈りを込めた、美しく、また悲しい作品が観る人を惹きつけ、離さない。
彫刻とは、石をひたすら彫り、削る。そう足すことがない、ただ引いていくという技なのだと知り、それも感動する。粘土による創作とは違うのだ。
船越氏は、晩年病により、半身不随となり、左手しか使えない身になっても、その左手でデッサンを書き、そして作品を作り続けた。両手を使っての創作時代は繊細で精緻で細やかな美しい作品、そして晩年は片手にすべてのパワーが宿ったかの力強いごつごつした作品に変化していることも、作家の生きざまそのものが伝わってくる。
この先生、素晴らしい言葉も多く遺されているが、その中でも、自らは芸術家ではなく、職人だといい切っているところがまた気に入ってしまう。
死ぬまで自らが選んだ手仕事をやり続ける。それが幸せなのだと・・・。
芸術家とは後になって、その結果括られるのであって、あるいはそれは他人がそう名付けるだけのことであり、やっている本人にしてみれば職人~それが正しいのだと思うし、そのような謙虚さをもつ人だからこそ、素晴らしい作品を生み出せるのだと思う。
今度、この先生の作品に出会えるのは、長崎だろうか。
平和を祈りながら、先生の偉業に改めて敬意を表したい。
自身を職人と言う、愛すべき芸術家
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