笑い雲に抱かれ、清流で心涼む

父が現役バリバリであった頃、週の半分は出張に出ていた記憶がある。
といっても、新幹線で都会への出張ではなく、車で1時間半はかかる飛騨金山に。
岐阜県の美濃地方と飛騨地方のちょうど真ん中、境界線になる町。
昭和40年代、そこに工場があり、地元の職人さん、パートさんと一緒に仕事をするため通っていた。当時は、制帽業界も活気があった。
父は、そこを任されていたのだろう。
とにかく「今日は金山の日」と言って弁当をもって出かけていたことを、最近、
ふと思い出した。
その金山とは、どんな街なんだろうか。
父が通っていたのはもう40年ほど前であるが
田舎町であれば、そんなに変わっていないのかも・・・。

急に父の足跡を辿りたい気持ちになって、免許をもたない私は電車で現地に。
木曽川の上流。ここでは飛騨川と馬瀬川の合流点。とにかくきれいな澄んだ水が
静かに流れる。釣り人もいる。
なんだか平和な景色。街も昔のまま、昭和がそのまま残っていた。

そのおかげで、父が通った頃のことがくっきり想像できた。
この道を通ったかどうかは定かではないが、間違いなく、この山、この川、この空を見ながら、仕事に通い、家路に着く。
そんな生活を繰り返していたのか・・・。冬は雪も降る地域。
よくがんばってくれたな~。

この日見事な晴天。さわやかな青空に、豪快な雲が浮かんでいる。
なんだか、その大きな空に浮かぶ表情豊かな雲を見ていたら、
父と母が「あはは、おほほ」と笑っているような感じがした。

笑い雲。そんな雲、あったかな?
しんどいことはきれいな水で洗い流し、上を向いて楽しく笑って生きよう。
と、両親はそんな風に生きていたのではないか。と
彼らの仕事ぶりを思い出したら、胸がいっぱいになってきた。
その日々のおかげで、ピアノがある。
笑い雲に感謝しながら、元気に秋に向かう。

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