「確認」と「反省」を繰り返し、成長がある?

前へ進むことについてのためらいは少ないほうではあるが、立ち止まったり、ふりかえったり、「確認する」ということが苦手な傾向があるようだ。苦手というか、確認することが怖いと思うことが時々あるという意味だ。日々の暮らしの小さな行動、仕事での確認は当たり前のことであるが、特別なときの「確認」というのがこれまた怖い。
たとえば、自分のライブ・ステージを記録したもの。よく録って、撮っていただく。そのデータがCDやDVD,あるいはパソコンの中にいろいろ残っている。写真類は、あとで使うことも多いため、見ることがあるが、自分で見たくない顔(笑)はすぐに消去したくなったり、いやー、こんな顔でやってんのか、この顔はいやだ、このほうれい線は・・・うーん、おばさんだな~などなど。ライブの様子も同様。あまり振りかえることは好きではない。
ただ、CDを作るとなるとそうはいかない。チェックが必要だ。レコーディングするときに自分がどんな実態であったかを知っているだけに確認はとても怖い。ああ、いかん。ああ、あかん。ああ、ああ・・。という感じだ。いいところはいい、自分でも涙が出そうになるところもあるが、そんなところばかりじゃないというのが現実だ。
でも、それも等身大だからと一種諦めの念になるのが、「確認の場」である。
同じ音楽仲間に聴くと、同じような心境だというから、自分だけではないのだと安心もする。確かに自分自身だからわかること、があるのだ。初めての人にはわからない、わかりづらい、気づかない、でも本人にはわかる。あとになれば大したことでなくても、確認中というのは、なんとも不安である。
しかし、ひとたび作品として完成してしまえば、完全に開き直り、その作品が何よりも愛おしくなる。私の仲間は、いつもいつも車の中で自分のCDを流して、自分のCDだから一番好き!と言っていたことがあるがその気持ちもよくわかる。
自分の音だから、自分の曲だから まるで子供のように、分身のように思えてくるのだ。うまくいっても、失敗してもその作品は自分の生き写しであり、だから確認が怖かろうがなんであろうが、今というステップを通過するしかない。・・・と完成を間近に、怖い確認を重ね、ため息を出しながら、次回は・・・と反省をしながら、成長していく・・。といいなと思っている。

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