先日、ひまわり畑の写真を送っていただき、その生育のご苦労もお聞きしながら
コンサートに向けてイメージロングを作り、演奏した。
おかげさまで大変ご好評をいただいた。
来年も使いたいとも言われている。
人と人の思いから、曲や歌詞が生まれる。
そんななか、とある新設の学校で校歌をAIで作るということがニュースになり
正直、とても複雑な気持ちになった。
キーワードを生徒や地域から集めて、その情報をAIに渡し、歌詞が生まれそれに合う曲をAIで作るそうだ。
それが話題。それがいい。それが令和の時代にふさわしいそうだ。
子どもたちが、自分の学校のことを思い浮かべて歌う曲がAIで作られた曲とは。
先生、ほんとうにそれでいいですか?
と言いたい。と思ってしまった。
お店で流すBGMなどであれば、まだしも・・・。
先日、岐阜のある町の小学校の校歌を子どもたちと一緒に演奏した。
その曲は、人間の作詞家、作曲家が作られたもの。だから、人として
感じることができる。
これがAIが作った曲ですから・・といわれたら・・・テンションが下がる。
共感がないのだ。
AIを使ったといえば最先端と思う。そのことが価値だと思う人もいるのも
理解できるが、
時と場合によると思う。そして、目的・・・。
子どもたちが、毎日歌い、育む歌は、人間がつくった方がいい。
何のためにそうするのか?
何のために校歌をつくるのか?そこからいろんな答えが見えてくるはず。
教育が間違った方向へ行く。
そんなことを思った今回の件。
AIで人が感動する。
ロボットに世話になって長生きする。
そんな世の中ならば、私は長生きしなくていい。
おかしい。おかしい。正直、そう思っている。
コミュニケーションを育み、人と人のふれあいから、人にしかできない
感動を作り続けたいと、強く思う。
AIで校歌を作る時代に。
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