お盆の過ごし方はそれぞれであるが、私の場合、今年は台風前に、
地元でのひまわりフェスタでミニコンサート。
そのイベントに向けて、新曲も書けて、お披露目することができ、
とても喜んでいただけた。サプライズができるとうれしい。
今も楽しそうに演奏を聴いておられるお客さんの顔が浮かんでくる。
ああ、いいお盆のひとときをご提供できたかな、主催者にも喜んで
喜んでいただけて、やって良かったな・・。と、台風を避けながら
この余韻とともに、静かなお盆を過ごした。
親が生きていた頃のつながりから実現したこの企画。
ふと振り返る。
親の姿は見えなくなっても、両親が生きていたころの影響を今なお
受けている。
いや、自分が何かしようとすればするほど、親のおかげを実感する。
両親がいなくなっても、その関係が残り、続き、発展していく。
もちろんすべてではないが、引き寄せられる人とはそういう関係に
なっている。ご縁とは、こういうものかとも思う今日この頃。
人の出会い、関係づくり、発展・・・人間のつながりの不思議を感じる。
親がいたからこそ、自分がいる。親は自分自身の種である。
それに加え、親がいなくなったあとにも、私が育てることができる
種を残してくれている存在。
その種が何になるのかは、まさに自分次第であるが、
親の人生とは、結局は、私のための種まき人生でもあったのかなと・・。
と地元の活動の発展については、そんなことを感じる今日この頃。
さあ、これから私は誰のために、どんな種まきをするのか?
そろそろ、考えて生きていこう。
種まき人生に感謝。
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