今なお、映画は世界への扉

子どものころから、映画が大好きだった。
夜9時から・・というちょっと子どもにとっては禁断的な時間帯の
放送も、余計に興味をもつ要因のひとつであった。
なんで、子供は観たらいかんの?と思いながら、親の目を盗んで
観ていた。当時は録画もできなかったため、なかなか大変であった。
ああ、淀川長治さんや、水野晴郎さん・・・。懐かしすぎる。

現実とは違う世界に旅ができるのが楽しくて、もうひとつの
世界にしばし身を置くことがうれしくて、わくわくした。
もう一人の自由な自分がいた。

もちろん音楽も読書も好きであったが、
視覚・聴覚から、瞬間に全身にずどんと入ってくるあの感覚・・・。
いきなり世界が変わるというのは、映画特有の力だ。
もちろん映画館で見る大迫力に比べれば、家で見る世界は小さいが
それでも、十分に楽しめる。

映画の世界は、初めて海外に行ったときの感覚に近い、しかも
タイムトリップもできるという、なんというマジカル!
よくぞ、神様はこのようなアートを生み出す力を人間に与えて
くださったと心から感謝する。音楽、映画についてとくにそう思う。

そして、現代を描いたものよりも、20世紀の映画こそ、自分にとっては
貴重なお宝である。生きていると過去には戻れない。
でも映画は時を戻してくれる。
そこが自分にとっては最高の魅力である。
(これは音楽も美術も同じだ。)

そんなわけで、台風下、外出もままならぬ室内での時間。
気が付くと、BSでゴッドファーザーが放送されていた。
しかも三連日で、パート1から3まで。
音楽は昔から大好きで、ライブでもよく演奏してきた。
ニーノ・ロータの名曲は大好きだ。
でも、作品自体はマフィアの話で、流血場面も多いし、
あってはならない銃社会そのものが舞台であるし、
さらに子供の頃には作品が長すぎて、見続けるのが難しかったため
何度見ても途中で断念してきた。

それなのに、今回は不思議なことに、興味が途切れず、
いろんな思いを持ちながら最後まで見続けていた。
その見事な作品にすっかりひきこまれる自分がいた。

アル・パチーノ、マーロン・ブランド、そしてロバート・デニーロ。
わが青春の入り口からずっと活躍されてきた名優たちの若いころの姿。
・そして、NYリトルイタリー、さらにシチリア・・・。
懐かしい街が次々と登場した。
この30年間、自分が出かけた町のことを思い、そこを歩いて刺激を
受けてきた自分を思い出した。
映画と自分の歩んできた道がシンクロして、何とも言えない感動が
湧いてきた。

子どもの頃には頭の中で繋げられなかったパズルが、今はちゃんと
1枚の作品として、頭の中にある世界地図とともに、年表とともに
仕上げられるのだ。
それは、自分がいろんな経験をしながら生きてきた証しかもしれない。

長いパート2を見ながら、
たまらなく、リトルイタリーに再び足を運びたくなった。
25歳のときに初めて出かけたNYがどれだけ自分に影響を与えて
くれただろう。世界は多様だよ。そんなことを教えてくれたのが
NY。そしてリトルイタリーに足を運ぶたびに、ゴッドファーザーや
ウエストサイド物語の舞台だといつも思い出していたあの頃を懐かしく
思い出す。

映画を観て、久しぶりに世界への扉がまた大きく開いた。
昨日は半径5メートルのことを書いたが、それはそれとして、
自分の中に眠る、世界へのあこがれが、映画で再発掘された。
ああ、今すぐにでも海を渡り、確かめに行きたい。
25歳で自分が感動したあの町が、今も同じように受け留める
ことができるかについて・・・。そんな気持ちになってきた。
リトルイタリー界隈を歩いていた、若き日の自分が映画を通じて
蘇ったのだ。

久しぶりにこの史上最高の名作を見ながら、半世紀以上生きて
きた自分に、新たなチャレンジ精神が芽生えた、よみがえった。
ああ、このことも大切にしよう。
元気なうちにやりたいことはやればいい、行きたいところへ行けば
いい。
半径5メートルを大切にしながら、はるか遠い海の向こうに夢を
見続けることも失くさないでいることが、とても大切だ。

今日はパート3の放送。いやはや、なかなか、さすがの超大作だ。
台風のおかげで、得られた時間に感謝。

移民についても、NYの成り立ちと歴史についても
考えさせられる映画。改めてゴッドファーザー。今日もまだ放送される。
それにしても、
若き日のロバートデニーロもアルパチーノも決まりすぎている。

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