ほとんどが「なんだ、それぐらい」

毎日、いろいろ悩むことも多い。生きていると朝、目覚めてそのときには予想してもいなかったことが起きるということも日常茶判事。想定していたことばかりの毎日であれば、なんと楽なこと。でも毎日そうだったら、きっと面白くないのだろう。
思いもよらないアクシデントが起きたり、トラブルに巻き込まれることで、人は知恵を絞りなんとかその苦しみから抜け出そうとする。その途中は、なかなか苦しいこともある。その苦しいときに、誰かに聞いてもらえるかどうかはとても重要だ。
相談相手がいる、いないで、進むべき道も変わる。
私の場合も、いろいろ毎日起きる。未経験のゾーンの話も多く、おそらく親のサポートなど、これまで以上にいろいろ出てきそうだ。ああ、人生とは・・とつい思ってしまう。
ああ、どうしょう。どうしよう。悩みながら、自分なりに対策を考える。そして人に聞いてもらいながらその対策を整理しながら、行動に向かう。自分にとってはあまりに重いこと=未経験ゾーンのことについて、「もう、どうしようかな~~」と相方に言うと
「それぐらいのことで何言ってんの」の一言がかえってくる。そうか、その人にしてみたら、それぐらいのことなんだ。自分にとって生きるか死ぬかぐらいの重大なことと思うことほど、いろんな人に聞いてもらったりするといい。意外と気持ちが軽くなって、世間の皆様はもっといろいろあるんだから、これぐらい乗り越えられるというポジティブな気持ちになっていく。
そう、だいたいがこれぐらいのことなのだ。深刻なときとは、もうこんな悩める状態ではない・・というときだ。と、思って、少々の苦労は越えられる。
そうだ。戦争時代のことを思えば、すべて「これぐらいのこと」でしかないのだ。
悩めるなんて、贅沢なのだ。

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