SNSという道具は便利であるが故に、細心の注意が必要であり、
自分にとっては、活用と管理が難しい存在であるとつねづね思っている。
誰もが送り手になることができる世の中になったのは一見良いことかも
しれないが、その反面、危険も多くはらんでいるとみている。
自分の場合は、どこまでSNSに頼らないで生きていけるかを実験
すべく、それを使わないように心がけているし、匿名性の発信には
信頼を寄せていない。
もちろん企業のコミュニケーションツールとして、無視することは
できないため、その必要性は理解しているつもり。
とくに公的なメッセージ、公的な仕事をしている人は発信することについて
本当に気を付ける必要がある。自分は誰に支えられて生きているか、
誰のおかげで今こうしていられるか。まで考えて言葉を紡ぎ、発信する
のが当たり前であり、発する一言、写真1枚にまで、その影響を考えて
発信すべきであると考える。
これを発信したら、どういう反応になるか。について360度見渡して
その上でOKである場合のみ、公開するのが良い。
軽い気持ち、ノリで公開することが、誰かを傷つけたり、多大な迷惑を
かけ、最後には自分の足元をすくわれることになる。
人生が瞬間にして変わってしまうほど、その情報の流れは自分の手には
追えないのだ。拡散から炎上・・・。最後みじめになるのは自分・・・。
今、このネットの世界にはあまたの情報が集まっている、その多くがゴミで
あると思っている。これが印刷物だったら、ものすごい量の燃えるゴミ。
ネット上では瞬間にして消えそうであるが、自分では消せない場合もあり、
自分の手を離れると行方不明になり、あとで驚くこともあったり、とにかく
怖い存在である。
発信する人の質と、受け手の質。またその反応を見て何かと口を出す第三者の
質。この三者の質で、情報コミュニケーションの質は変わる。
良質な発信と受信を心がけたい。
そして、共感を得られるコミュニケーションは目指したい。
考え抜いて発信すること。そして、ときには発信しないこと。
伝えることは、間違って伝わることも想定しておくことが前提だ。
情報は、自分の手を離れたら、独り歩きする。そういう怖い存在であることを
改めて心にしっかり留めておきたい。
考え抜いて発信する、しない。
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