日本が世界に注視される夏

8月6日の広島、そして9日の長崎。70年前のこの夏、原爆がこの2つの町に投下された。近年、続けて2つの町を訪れ、資料館や町中にある原爆被害の実態に少しづつ知るにつれ、その悲惨な現実から目をそらすことができなくなった。あまりにショックな写真や絵を見て
それだけで足がすくみ、顔を覆ってしまう。戦争とは何のため?真の平和とは?日本とアメリカをはじめとした世界との関係とは?などなど強く意識するようになった。そしてこの地を訪れるにつれ、凄まじい悲惨な状況を乗り越え、懸命に復興を遂げてきた現地のみなさんへの尊敬も芽生える一方、今なお残る傷跡に心痛む。本当にこんなことが世の中にあったのか?と信じたくないような現実をみなさん、悲しみや苦しみを乗り越えて頑張って生きてこられた。どんな気持ちで?と思うとまた胸が痛む。

今回の広島での式典の模様は、もちろん世界でも報道された。その様子を見る、知ることが大切だ。国内報道よりも、海外のとらえ方を知る必要がある。たとえば、ドイツのニュースでは、国民が戦争反対のプラカードを掲げ、首相のスピーチ中にやじを飛ばしたという状況を報道し、今の日本への危機感を伝えていた。
年々、海外からのこの式典への参加も増えている。また世界各地で、この日に追悼の行事が開催されている。世界中が人類史上、最も恐ろしい悲劇の実験地 日本へ目を向けている。
経験をどう生かすのか。歴史にどう向き合うのか。
世界から日本はどう見られているのかを俯瞰して知り、自らの進む道をしっかり示し、進むことで、共感され、支持される国になる。
まさに島国だから、対岸のことしか見えていない傾向がある今の日本。世界はもっと見ている。日本という国はこの悲劇を教訓に、世界をリードする平和国家にならねばならないのだ。そこに戦いは不要。対話、コミュニケーション。武力ではないよ。ということをこの暑い夏の経験が示していることを、気づかない、気づけない人はいない・・・ことを節に願う。

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