「時間」について考える

音楽は時間の芸術だという人がいる。それに対して美術は空間の芸術なのだろう。
私は後者は見るしか芸がないので、今回は、前者について考えてみる。音楽は確かに
時間の流れのなかで、生まれ消えゆく存在。聴いたらすぐ消えてなくなる。記録や録音しない限り、再生は不可能である。まさに瞬間の芸術である。
瞬間瞬間に生まれ、消えていくこの美しき戦慄たちを記録したものが楽譜。さらに楽譜という概念を伴った「西洋音楽」を日本にもたらしたのは、かのザビエルだと知り、なるほどと思う。わが人生でかかわってきた印刷も、音楽もすべてキリスト教そしてその伝え人、ザビエルが存在してこその今日であると思うと、偶然とはいえ、不思議な縁をも感じてしまう。さて、改めて時間について考える。
生きていること自体が時間ドラマ。同じ時間は二度とこない。時間とともに人は変化していく。
来る未来を想像しながら、過去の記憶を糧に生きていく。
そう、人生は記憶と時間の関係のなかで「アイデンティティ」をもつことになる。
しかし、時間が経過すると、人もモノも消えていく。意識して記録されなければ、伝承されなければ、その存在すら消失してしまう。
人々の記憶から消えてしまうということが起きうる。意識しないと消えていく。6日の広島、そして本日9日は長崎に原爆が投下されたという恐ろしい記念日だ・・。これもいつしか、この悲劇を生身に経験した人が少なくなれば、時間とともに人々の記憶から消えていってしまうのか・・。そんなことをふと思った。
時間とは、時に人に成長をもたらす一方、時として終焉をもたらす、消滅を運ぶことがあるのかもしれない。
時間・・・。瞬間であり、自分の意識次第で永遠にすることもできる存在だ。
そして、多く歌い継がれているように、時が経つ、流れるから、人生は素晴らしく、そして悲しく・・。今日の長崎での記念日。これまでの70年という時間を思い、そして、これからの70年を思う日にしたい。多くの犠牲者の皆様に哀悼の意を表して。

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