人にはそれぞれ「役割」がある

ある番組で、高知に住むある母娘のことを知った。
生まれながらの難病の子供さんと向き合いながら18年間生きて、そしてそのお子さんとの経験を活かし世の役に立ちたいと、重症児のサポートをする活動を立ち上げ、活躍されている。自らが立ち上げた施設に、娘さんも入所され、元気に暮らしておられる・・・。

手足の長さも違い、指も奇形で脳にも障害があり、視力も・・・。といった本当に大変なハンディを乗り越え、お子さんを養護学校にも通わせ、歩けるようになったり、話せるようになったり…とにかく笑顔の家庭を一緒につくってこられたこの母娘の物語。
最初はもう生きていけない、死にたいとも思ったこともあったが、そのお子さんがそれでも生きている育っていることに勇気をもらい、また周囲のサポートからがんばって生きなければ思い、がむしゃらに生きてこられた・・・。
その姿を見て、いかに自分は、大した苦労なしに生きてきている。
それなのに…と恥ずかしく思った次第。

そのお母さんががんばれたのは、そのお子さんがおられたから。
その子が一生懸命生きている姿から、自分も頑張らねばと思った。
お子さんはお母さんに勇気を与え、生きることを教えてくれた。
お子さんのことを、師匠とも呼ばれていたことが印象的であった。


人にはそれぞれ役割がある。
どんな形、どんな特徴があっても、生きている以上、何かをするため、誰かのために
生きている。それぞれに役割があるのだ。
それを意識しているか、していないかの違いはあっても、間違いなく役割がある。
役割のない人、生物は存在しない・・・。
人間でなく、たとえば炎天下に咲く一輪のひまわりも、私たちに元気と癒しを
与えてくれる、そんな役割をもっている。

改めてじーんと心に響くメッセージだ。

ふと自分の幼いころの家族のことを思い出す。
どんな人にも役割がある。何かを教えてくれている。
そのことを、私自身も自分の家族から学んで生きてきたことを
久しぶりに思い出した。・

ほんとうにそのとおり。
人生ふりかえれば、あの人のおかげで・・ということばかり。

では自分には何の役割を与えられているのだろう。

周囲の人を元気にする。笑顔にする。
そんな役割があるのだと、きっとそういうことを与えられているのだ
思って、精一杯すべきことをする。

なんだかあの母娘の姿を見ていたら、少々のハンディやいろんなことは
大した苦労じゃないと思えてきた。
小さなことにも幸せはみつけられるし、小さなことは乗り越えられる。

大切なことは、相手を思う心。愛。

さあ、自分の役割を果たせるように、前に進むとしよう。

それと、お役に立とうとあまり意気込む必要もない。
自然に生きていれば、結果、そうなることもあるし、相手にそれが
伝わる。自然体で一生懸命生きればいい。

高知でがんばっておられるその母娘のお幸せを、心から応援し続けたいと
思う。

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