持つ道具と続ける仕事。

実家に行く途中、川があってその土手の道沿いに古い家が建っている。
小学生のころからその前をずっと通っていたので、その家の存在はよく知っている。
子どものころは、床屋さんだった。
駅に行く途中の目印のひとつ。昔ながらのくるくるデザインの床屋さん
看板も出ていた。
あれから半世紀以上経つ。店はもう営業していないが、人は住んでいる。
そこの住人が、いつも、川の土手の草刈りをされている。
おばあちゃん。いつ通っても 雨がふっていない限り、ほとんど家の前の
土手にしゃがんで、草刈りをされている。
おかげで、その家の前の土手だけ、きれいーに草が刈られている。

最初は精が出るな。暑い日も寒い日も…と感心していたが、あまりに毎日
しゃばんで刈っておられるので、あるとき、勝手に妄想しはじめた。
もしかしたら、昔、床屋さんをされていたので、そのなごりで、今は草刈りを
ずっとされているのでは・・・。頭用のハサミで草刈りをされているのでは・・。
ハサミをもって、何かを刈り続けることがその人の日課になっているのでは・・。
さあ、今日もやるぞ。と無意識にハサミをもって家の前に出て、仕事をしているのだ。
ハサミをもって何かをしていることが あの方の人生そのものなのかも。
と思うほどに、本当にほんとうにいつもいつも、草刈りをされているのだ。

刃さばきもお見事だ。ただ無心に人の頭ではなく、土手の草を刈り続けて
おられるのだ。

ハサミとともに・・の人生なのだろう。
何かをもって仕事をし続けてきた人。働き者の証拠だ。
いつも無心に草を刈り続けているおばあさんのこと、尊敬しながら
見守っている。
「あ、今日もおられる」
でも、なぜかあまりに一生懸命にされているので、声がかけられない。うっかり
怪我をされてもいけないし、声をかけてはいけない空気を感じるのだ・・・。

生涯持つ道具・・・。人にはそれぞれ何かあるだろう。
筆を持つ人、ナベを持つ人、カメラを持つ人・・・・。
人生の最後まで、使える道具があること、
その道具で毎日何かの仕事をする。それがいきがいになることは
とても素晴らしい。

と、無心に草刈りをするおばあちゃんの存在が、ずっと気になっている・・。
今日もいるだろうか?ひとりしゃがんで、チョキチョキ・・・。
炎天下で帽子もかぶらず、そのうち熱中症にならないかと
心配であるが・・・。
どうぞ、お元気にいてほしい。

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