先日、急ぎ足で映像のBGM用にピアノ曲を20曲ほど録音してきた。とにかく早く渡さねばという時間的制約と、BGMということもあり、録りっぱなしでその音源データを製作者に渡した。
私が創り、弾いた曲がどんな形で使われるのか?自分で自分の媒体、イベントで仕組む場合は、自分の作品であり、自分のステージであるから自分のイメージ、企画どおりに制作を進めるが、BGMとして使われる場合は、他のプロに制作を委ねるため、普段とは違う緊張と期待が入り乱れる。いったい、どんな風に使われるのだろう?どんな絵と一緒に?という感じでドキドキしながら、わくわくもする。
数日前、封書が届いた。「ひとつめの環境ビデオ、完成しました」とのことですでに商品としてパッケージになっているDVDを確認する。八海山の四季を写した映像に私の音楽がプラスされた作品だ。四季の変化を美しく撮影された山と空、田んぼ・・・。その美しい風景に私が弾くピアノ曲が乗っかっている。おお、おお不思議な世界。自分は八海山用に今回、曲を書いていないが、美しい風景を楽しむのにいい感じにメロディが流れている。
へえ、この曲がこういうところに使われるか、意外にいけるな。へえ、この組み合わせか~。もちろん編集中に事前確認はしており、驚くのはその段階であるが、とにかく映像には音楽が不可欠で、意外にも音楽の担う役割が多いということにも改めて気づかされ、改めて緊張してしまう。
魚沼の四季につづき、十日町の自然(棚田や森林・・・)ビデオ・・・。まだまだ続きそうだ。
もともと、人生をテーマにした作品づくりに興味があり、このBGMの話に乗っかったが、「自然」をテーマにした映像とのコラボも大いに可能性があることを知る。
ひとつの曲がいろんな顔に変化する。音楽はいろんな手法、応用でひとつの素材からも大いなる可能性と発展があるものだ。
映像のなかの自分の演奏。何回、何百回きいても、自分の演奏の細かい部分には気がいってしまう・・が、客観的にはわからないかもしれないし、細かなところはあまり関係ない。もっとトータルにとらえるそうだ。とにかく、音楽は素材として、大きな可能性を秘める。
少しでも人々の心に響くメッセージとなれば、本望だ。頑張って挑戦を続ける制作仲間に敬意を表し、刺激を交換しながらさらなる挑戦を仕掛けたいと思う。
無限なる可能性への確信
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