「キンチョーの夏」というキャッチフレーズのコマーシャルを
ご存じの方は、昭和生まれ、育ちかと思う。
私にとっても懐かしい。蚊取り線香の煙ちと香り、そして花火と
うちわのイメージ。
蚊をはじめ、虫さされに気を付けながら、夏を快適に過ごそう。
あのコマーシャルは今から思うと、よくできていると
思う。
その後、高温化、都市化、さまざまな地球環境、住環境、ライフ
スタイルの変化のもと、「殺虫市場」も急速に拡大しているので
はないかと思う今日。
6月を過ぎると、やたら殺虫剤のコマーシャルが増え、ドラッグストア
のメインスペースにも各種殺虫剤が大量陳列される。
「ああ、またこの季節がやってきたのか・・・」ととても憂鬱になる。
夏は正直、好きではない。その理由にひとつはこの虫対策である。
鳥や虫類との共生は、大の苦手である。
お願いだから、近くに来ないでといつも思っている。
だから、もし苦手が虫が目の前にいたときは、平常心を失い、
かなりパニックになる。平気で退治できる人は、尊敬する。
そういう人とつきあいたいと思ってきた。
東京に住んでいた頃に比べると、地方ではどうしても動物類を
目にする機会が増え、遠目に見ているときには良いが、近くに
来られると、困ったものだ。ときには退治?しなければならず、
心を鬼にし、格闘する自分がいる。
ほんとうに、苦手である。これは子供時代にあったちょっとした
事件がトラウマになっているのかもしれないが。
犬猫がかわいいというレベルとは違う。同じ動物であるのに、
なぜ、こんなにも鳥や虫は人に嫌われるのだろうと思いながら
自分も好きではない・・・。動物といっても、括れない。
さて、そんなことで、必要にかられてドラッグ売り場の殺虫剤売り場
に行かねばならないことがある。できたらあの売り場も行きたくない。
パッケージを見る、あの強烈なコピーを見るのも、避けたい。
(最近、テレビでやっている強烈かつ残酷なコマーシャルも本当に
やめてほしい。でもそうでもしないと効果がないのだろう・・・)
殺虫剤を買うか、買わずに自然に任すか・・・。ここは究極の選択。
そして、やむなく殺虫剤を買うときも、パッケージデザインが派手で
強烈なものは手にとるのも怖い。
虫との戦闘意識があるような、あの派手なパッケージは手にとりたく
ないのである・・・。
でも、実家にはどうしてもさまざまな虫が出てしまうこともあるため
必要な1本、2本・・・。
少しでもおとなしい、やさしいデザイン?家においてあってもインテリア的
にも違和感のない殺虫剤?をつい探す。
最近では自然派のものもあるので
そういったデザインの殺虫剤もあるが、まあ、それでも自己満足の世界
であり、虫を殺す目的の薬剤であることには変わりない・・・。
本当にこの売り場では、脂汗が出るほど悩んでしまうこの季節。
食品売り場であれば、ぱっと見てついたくさん買ってしまうが、
殺虫剤の売り場では、悩んでしまい滞在時間を費やす。この自分も
情けない。
ああ、このパッケージは嫌だなあ。これ、どういう気持ちでデザインした
のだろう。自分は殺虫剤の仕事は無理だなあ~。
と想像が膨らみ、余計に時間がかかる。
結果、見た目的に強烈でない殺虫剤を求め、実家で使用する。
こんな優しい表現じゃ、効果あるのか?という気持ちにもなるが
悩んだ結果の選択である。
そして、この1本を使うとき、いつも虫に謝りながら使う・・・。
このこと自体が苦痛。じゃ、殺さなきゃいいのに・・。
でも、ここに、この虫にいてもらっては困るのだ。
と、一体自分は何だろう?と自己不審になるほどに、虫への恐怖感は
特別である。殺虫はしたくない、でも・・・。この葛藤自体が
夏の大ストレスなのである。
ああ、早く秋になって、冬になって・・・。毎日そう思っている。
ふと、ある製薬会社で定年までつとめられた方との会話を思い出す。
その方はずっと製薬会社、しかも人間の命を守る薬の方ではなく、
殺虫剤をつくる開発に携わっておられた。いろんなご苦労があったの
だと思う。定年後、地元の庭園で清掃などお手伝いされていたが、
「本当に虫には申し訳ないことをした。そんな仕事でした。罰があたりますわ。
今は懺悔の気持ちでこういうお手伝いしていますわ」
とこぼしておられた・・・。それを聞いて、殺虫剤をつくられる方々のご苦労を
知り、同情した。やさしい心の持ち主であったが、その仕事は日々葛藤であったの
だろう。
そんなこんなで、人間社会の身勝手さを思うこの夏。
共生とか自然環境を守ろうとか言っている反面、一方、自分の命?の敵である
虫は殺す。ばんばんコマーシャルもする。作る、売れる、使う、虫を殺す・・。
人間中心の夏、到来。でもそれをしないと、快適に過ごせないのだ。
うーん。矛盾。うーん、偽りの共生だ。
とすごく悩みながら、殺虫剤を手にする。
ああ、私には本当の意味での共生は無理なんだろう。
自己嫌悪の夏は、これからだ。