さまざまな情報が飛び交うなか、人生のしまい方について考えさせられる
今日この頃。ああ、こんな終わり方はしたくないな・・・と残念ながら
思える事例が多い。まあ、こんな情報は見なくてもいいが、と思うが
眼を開ければ入ってくる。
これが現実、現代社会。それを知ることはある意味、大切なこと。
どんな命も生まれて、生きて、そして終わる。終わり方はさまざまだ。
生まれ方よりも、終わり方の方が多様であるかもしれない。
人生によっては、その終わり方が無残であったり、無念であったり・・。
戦争も、個別の事件、事故も同じ。
人の命が、自然ではない形で失われる、人生がある日、人の関わりに
よって閉じられる。
このことは、本当に残念で、悲しいことだ。
できれば、その経験はしないで済むならばと願いたい。
戦争しないで、言葉でコミュニケーションで解決できるならば、
それが最もいいに決まっているが、現実は暴力が言葉を越えることがある。
一方、生きている間にいろんな苦労があっても、最後まで生き抜いて人生を
終えられることは幸せだ。だんだん老いていくことは自然で、最後は終わる。
できる限り人に迷惑をかけず、自然にきれいに‥終わりたいが、そんなことは
夢だろうか。でもそれを目指したい。
そして、
自分が人生を終えるときに「ごめんね」と言わなければならない結末は
避けたい。また言われるのもできたら、避けたい。
できたら、お互いが「ありがとう」で終わりたい。
「ごめん」の話は、できる限り元気なうちに、早めにしておきたい。
そして、後になっても悔やむことのない思い出をかみしめたい。
そのためには、地道でいい、着実でいいから、自分ができること、気にかかること
を心を込めて、毎日コツコツやるのみ。生きるのみ。
人生は、本当にコツコツに限る。
そして、あやまるべきことがあれば、後回しにせず、早めに解決し、
心平らに、すっきり毎日をいきたい。
最後は「ありがとう」を心を込めて、伝えあう。
そう人生を終えたい。
あまりに悲しい事件が多いなか、そんなことを強く思う朝。
さあ、今日も「ありがとう」を重ねよう。たとえ、今日が最後であってもいいように。
「ごめんね」より「ありがとう」で。
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