「もし」、ということを考えて。

以前から気になっていたひとりの女性画家がいた。
何かの情報誌でその存在を知って、いつかその作品を見てみたいと
思っていたが、やっとその機会を得た。
その画家は、三橋節子氏。
なんと生年月日からすると、母と同じ年の生まれ。
でも、35歳という若さで生涯を終えられた。

もともと野草が好きで、それをモチーフにした作品を多く描かれていたが
病気により、画家の生命といえる右腕を切断・・・。
その後、三橋さんは筆を左手に置き換えて、作品を描き続けられた・・。
まさに命を振り絞っての創作活動。
亡くなる直前まで創作活動を続け、命の限界を超えた、創造への執念。
いや、生への執念であろう。
病後の作品は、地元の民話をモチーフにしたものに変わっていったが
それは子供たちへの思い、母としての思いが反映された作品になっている。
不思議なことに、病後の作品は力強さを感じるのである。

本当に短い人生であったが、病前・病後含め多くの作品を残されるだけ
でなく、作品を通じ、最期の瞬間まで画家として生きることについて
のメッセージを残された。
とくに亡くなる直前に残された作品やメッセージからは、家族(とくに
子供たち)への思いがあふれ出ており、心打たれる・・。

そして、いろんな思いが頭を巡った。
もし、自分に同じような病が襲ってきたら・・・。
右腕、はもちろんのこと、何かを切断することになったら、
果たして限られた、残された命に対して、こんな前向きに生きることが
できるだろうか・・と。
表現することをやめずに、続けてできるだろうか・・・と。
自分の場合は、美術ではなく音楽に当てはめてみる・・・。
うーん、他人事ではない。いつ、なんどき、何が起きるかわからないから。

五体満足。これは本当に宝物である。感謝をして、大事にしなければならない。
同時に、もしこの身に何か起きても、最期まで力強く、生きなければならない。

何かあっても、生きられる。何かあっても、作品はできる。
そんな前向きな教えを、三橋さんは与えてくれた。

最期まで真剣に生きる。それに尽きるのだと。

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