あるとき、話の流れで「特に特定の信仰はありませんので」と言ったら
「それはお気の毒に・・・」といった返事をいただき、ちょっと
驚いたことがあった。
何か特定のものを信じない人は、気の毒、救われないのだ。
だから、よく「信じるものは救われる」といったものだ。
が、残念ながら?、おかげさまで今も特定の信仰はなくとも、
いたって元気はつらつ生きている。
周囲にそういう人も多いし、自分の場合はそうだ。
でも、ピアノに向かったり、人前で歌うとき、何か見守られている
存在を感じることがある。
それは、ミューズ。音楽の神様。
その存在は、信じることができる。
その世界自体が美しく、きよらかで、真実だから。
また音楽によって、人と人がひとつになれるから。
音楽は、どんな表現、媒体よりも魂により深く入り込み、心を静め、覚ます。
もちろん言葉も言霊といわれることから、その力も信じているけれど、
それ以上に、私にとっては音楽の力は絶対だ。
尊敬するドイツのピアニスト、メナハム プレスナー氏が先月99歳
で亡くなったということを知った。
そしてその哀悼番組として93歳で来日されたときの演奏が放送され、
手を止め、釘付けになった。
その清らかな演奏と、そのご本人のなんともいえぬ神々しさ・・・。
演奏のみならず、インタビューで話される一言一言に音楽を愛する
思いが詰まっていて、それにも多くの学びを得る。
このビデオは何度も見ているが、何度見ても、聴いても飽きることなく、
いや、聴くたびにその存在の偉大さに深い感動が沸き上がってくる。
昨年だったか、この映像を見たときはご存命で、90歳を過ぎても
ピアノが弾け、世界で演奏できるなんて、どんな超人かと思っていたが、
亡くなった今は、この医大なるピアニストをしのび、じっと音色を聴きながら
演奏の様子、表情をみつめ、そして祈る。
ほんとうに、神様みたいな、清らかさだ・・・。
本当に美しい音色、そしてなんとも神々しい表情・・・。
音楽を究めると、こういう表情になっていくのだろうか?
もちろんその人の生まれ育った環境やその背景も大きく影響しているだろう。
音楽を愛する人のところにはミューズがいる。
最近、確かにそう思うのだ。
だから、しいていえば、「音楽の神様を信じています。」
お経を唱え、聖書を読み、それぞれの神仏を信じる人もよし、
私の場合は、ミューズの存在を信じ、これからも音楽を大切に生きる。
メナハムさんの安らかな眠りを心から祈って・・・。