昨年秋から今年にかけて、岐阜市を大いに盛り上げたキムタク主演の映画。
信長役を演じたというが、どんな風に?
と気になりながら、なかなか機会がなく、このたびやっと鑑賞することができた。
久しぶりに映画らしい長編(といっても3時間ほど)を観た。
日本の歴史は苦手であるがふるさとも関係している作品となれば、
そして、わがふるさとのヒーロー信長の物語とあれば、それは別。
最初から最後まで飽きることなく、出てくる地名、ロケ地から登場人物、
セリフ(方言)まですみずみと楽しませていただいた。
そして、数年前に、信長をテーマに毎朝曲を書き、100曲まで続けた
という、今となれば不思議な経験も懐かしく思い出し、映画を観る
ことでさらに新たな発想が浮かんできた。
名古屋、岐阜、安土、比叡山、そして京都・・。信長の人生を変えた各拠点での展開を見守りながら、描かれた信長の半生に改めて感動を覚え、そして今回は濃姫にも新たな
興味を抱いた。
映画やドラマは必ず賛否両論がつきものであるが、わたしは日本の映画文化を育ててきた
企業の70周年の作品にふさわしい出来栄えであると素直に思った。
毎週連続していく大河ドラマの楽しみ方もあるだろうが、一気に集中してその世界に入り込む映画とは、本当に素晴らしい芸術であると、今回改めて思った次第。
歴史は単なる過去の出来事、過去に生きた人々の事実の記録。ではない、そこから時間を経て後世の人々の想像力と創造力により、美化されるところもあるかもしれないが、後世に伝えたい力強いメッセージになる。
歴史がロマンになる、憧れになるのは、二度と戻らない過去である点と、当時の限られた情報、記録からいいところだけが伝番され、ドラマができあがる点にあると思う。
そして、そのロマンに触れ、たとえば(今回の映画であれば)、ああ信長が名付けた岐阜に生まれて良かった・・・とふるさと愛が育まれることもあるだろう。
今回、キムタクの演技力と存在感は、想像以上であり、この配役に納得。この映画で信長を演じるのは彼しかいなかったのだろうと合点もゆく。
歴史はロマンになる。
そこにはその時代を真剣に生きたヒーローやヒロインの存在が不可欠だ。
そして、それを映画にする場合は、それにふさわしい配役が必須。そういう点でも
よくできた作品であると思う。
自分の人生と重ね合わせ、改めて信長と、濃姫には改めて興味を抱いた。
岐阜から滋賀を経て京都へ、サビエル、南蛮文化へのあこがれ・・・。勝手にではあるが、
共通点がある。
そんな二人のことを、自分なりにロマンチックに表現してみたいと思うきっかけを
改めて得た。
一方、映画を観て考えさせられたことはもう1点。
戦争についてだ。過去において、日本でも信じられない殺戮があった。
今回の映画を観ても、何度も目を背けた、そして今の世界で起きていることが
頭に浮かび、悲しく、情けなくなった・・・。
武器こそ違えど、命を奪い合う戦いの様子は目をそむけたくなる。
信長が「われ、人にあらず」といって、比叡山に火をつけ、僧侶も女子どもも
焼き殺した・・・なんていう事実はロマンではないし、決して、見習ってはいけない。
その場面は、信長にプーチンを重ね合わせ、ぶるぶると震えた。
と、1本の映画から、少し話がそれたが・・・。
映画という芸術は、お金も人手もかかる贅沢な芸術であるが
時空を超えてもうひとつの世界を見せてくれる永久保存の作品である。
そして、生きる私たちに示唆や学びもくれる教材でもある。
後世に伝えるべき作品をこれからも、丁寧に作り育んでいただきたい。
歴史はロマン。
悲しきは繰り返される戦争。これは絶対ロマンであってはならない。
歴史をロマンにする力。
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