大阪の町。久しぶりに心斎橋界隈を通る。
2年前だったか、コロナ禍に、このあたりを歩きながら
立ち並ぶお店のシャッターが下り、なんともいえない
気持ちになったあの頃を忘れることができないが、
その様子が嘘のように、平日というのに大勢の人でにぎわって
いる。インバウンドの買い物客もたくさんの紙袋を持ち歩き
自撮りをして・・・。
一見、コロナ前の日常が戻ったようだ。
賑わい。ちょっと怪しいバブルな感じ・・・。
マスクをしている人も減ってきて、あの苦しかった時間が
遠い昔のように。
「人がいっぱい。もうコロナ終わったみたいや。」
と独り言を言う。
コロナが終わったから、帰ってきてもいいのに。
と、そんな気持ちになっている自分に気づく。
そう、コロナ前の日常が戻ってきたなら、
親も元気に戻ってきたら・・とつい、思ってしまい、
うっとなった。
何を考えているんだろう。戻るはずがないのに。
でも、コロナ禍に大切な人を失くした人は
そんな幻想を抱くこともあるかもしれない。
元気なあの頃。という日常には、その大切な人は
元気にそこにいたのだから。
でも、日常は戻ることはない。
以前のような、それに似た、似て非なる日常が
やってきただけだ。
だから、そんなにはしゃぎたくもないし、
手放しにうれしくもないし、
改めて、
バブルな時間を過ごしたいわけでもない。
むしろ、静かにいたい。
と、にぎわう街を背に、あの日常は戻ってこないことを
思いながら、歩き続けた・・。
あの日常は戻らず。
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