掲げる数字と現実。

たとえば国という大きな括りをまとめていくときは、まずは数字を掲げるのが
手っ取り早いのだろうか?と、思うことが相変わらず多い。

子育て支援、軍事費は◌兆円。とか、女性の役員は◌年までに◌%を目指す。
とか、こういう見出しを見ると、また出た。と思ってしまい、何か違和感を感じる。
数字を言い切る根拠を、言ってほしいのだ。
また、なぜそれが本当に必要なのか、もちゃんとわかるようにして
ほしいのだ。
と思ってしまう。数字の一人歩き、数字合わせ・・・。
もちろん数字を決めないと、女性が活躍する社会ができないからという
発想もわからなくはないけれども、数字を決めたから、決まったから、
はいあなたも役員ね。役割を与えられても…数合わせのようなことに
ならないかとも思ってしまう。

本当はこんな数字は決めなくても、自然に能力がある、やる気がある女性
も男性も活躍する機会を得られ、いきいきとがんばる人たちが増えて
社会が元気になる!活性化する!というのがいいと思うのだが。
決めないと変わらないこと自体が、そういう体質が、あるべき社会の
姿とは違う気がしてしまう。

ではあるが、何か数字を言わないと、掛け声をかけないと、
変わらないのだろう。
と前向きに理解するように努力するが、
なぜ?どうやって?それで世の中がどう、よくなるのか?
を実感できるように、描けるようにしていかねば。

いずれにしても、頼っていても何もはじまらない。
自分で自分の力を発揮して、男性であろうが女性であろうがなんであろうか
評価されるようにがんばる。
そのことを、まず忘れてはいけない。

まずは、自立だ。

そして、数ではない。中身。


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