今、話題のChat PGT。いろんな可能性とリスクについて世界中で
その対応が検討されているが、基本的に前向きな活用が進んでいる。
不思議なのは、開発した当人が、その管理や制御を他人(政府機関・国際社会)
に委ねようとしている点。そんな危険な取り扱いが難しいものなら、公開するなよ。
とも言いたくなるが・・・。正直、よくわからない。
とにかく、ある意味人間の能力以上に優秀なこのツールを、人間様がいかに
使いこなせるか?ここが課題であることは間違いがなさそうだ。
さて、AIの活躍。知らぬ間にこの人工知能には日頃、お世話になってしまって
いる。頼んだつもりはないけれど、検索すればすぐ情報が容易に取り出せたり
自分の履歴がちゃんと記憶されて、自分にあわせた情報が出てきたり・・。
時々、気持ち悪いと思うこともしばしばである。なんで、知ってるの?
しつこいな~。とネット利用しながら、パソコンの画面を見ながら毎日のように
思っている。パソコンのなかに人が住んでいるのか?と思うほどに、自分のことを
知っているのだ。
便利はいいことであるが、不幸になることもある。
このChat PGTでは、小説も書こうと思ったら書けるし、作詞もできるそうだ。
キーワードを入れたら、それなりの作詞ができる事例を見て、なるほどと思った。
小説も、この機能を使って書いた文章があるコンテストで優秀賞を受賞したとも聞き、
確かに・・とも思った。
で、それでいいのか?という疑問。遊んでいる程度なら問題ない。また、
アイデアの参考にする程度の使い方は良いと思う。企画のヒントになることもあるかも。
また。誰でもできそうな文章作成を依頼することで、人が行う「作業」が軽減され、
もっと考えたり、独創的なことをする時間を得られるならば、それは良いと思う。
でも、そのまま使うことに慣れるのは絶対に避けたい。
この優秀なツールの文章は、いろんな事例を拝見する限り、よどみなく、語彙も
豊富で、一見素晴らしい。
自分が知らない言葉も多く使われていたり、理論的にも問題ないだろう。
何といってもビッグデータから選ばれた言葉であるため、客観的には的を得て
いる。
でも、そこにないものは、「思い」や動機、「主体的な意思」だ。
なぜ、それを書いているのか。なぜそれがいいと思うのか。
顔が見えないということだ。これを伝えたいという思いはない。
人工知能には顔がない。
「こんなん、出ましたけど?」
なぜか、と昔の占い師の言葉がなぜか浮かぶ。(ちょっと違うが)
こうだから、こう書いたんです。書きたいと思ったのです。ではなく、
過去の情報がこうだから、こう出てきたんです。
私が書きました。誰?この責任はだれがとるのか?
もちろん使う人ということになってくるのだろう。
人が書くものには、個々の思いや動機がある。
だから作品は生まれるのだ。
最近、知人が書き上げ、出版された小説を読んで、やっぱり人が書いたものだと
感動した。
これまでの作品はみなそうだった。
思いがあって、意図や意思から言葉が選ばれ、紡がれる。
自分が書く詩(歌詞)や、文章も同じ。思いがある。
そこを感じ取ることが大切だ。
さあ、これからも
流されないように、しっかりツールを選び、使っていこう。
生きるのは、自分なのだから。
動機と思い。
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク