壁をつくる、こわす、乗り越える。

社会がある以上、「境」がある。そうでないと、社会が混乱するため、ある一定の条件、ルールにもとづく境界線は必要だ。でも、この境界線はひとつの価値でしかなく、それを越えないと進歩や発展もない。たとえば国でいえば、国境があるが、それを越えて人々は自由に交流を求め、それがしやすい世の中になってきている。しかし生きているとそれ以外にも境界線がいたるところにあることを痛感する。男女の境界線。これもあるといえばあるし、年齢も、組織であれば、組織の壁もあるかもしれない。とにかく、ある程度秩序を保とうとすると、「境界線」は必要だ。境界線をわかりやすく、囲ってしまうのが、「壁」である。万里の長城は高いところにあるが、あれも立派な壁。敵から身を防ぐための防衛上の大切な、そしてその権力を示すアイコンなのかもしれない。
ベルリンの壁が崩壊してから、久しいが、壁を越えて、新たな時代に向かおうとするとき、その壁をなくすパワーが必要だ。
壁をぶっこわす、あるいは壁を越える・・。壁との向かい合い方についてあれこれと考えるが、ときには手ごわい壁もある。自分の存在があまりに小さいがために壁前にひとり立ち尽くすこともあるかもしれない。
日々、生きているといろんな壁にぶちあたる。心にたんこぶがいっぱいできる。でも、それは生きていくときに必要な行動であるから、臆病にならずに進めばよい。ただ、たんこぶを作らないでうまく乗り越えることができることも多いはずだ。
門番の人と仲良くなる?あるいは、壁があっても糸電話ではなく、いろいろ連絡がとれる今日、簡単に壁を乗り越えることを諦めてはいけない。今、ヨソモノの壁ということを時々考える。しかし、ヨソモノだからこそ生まれるパワーがある。そのことを、ザビエルの偉業からも学んでいる。壁を作る、壊す人よりも、乗り越え、あるいは壁をなくす生き方をまっとうしたい。そう思うと、たんこぶは決して痛くない。

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