学生時代は勉強することが仕事であった。というわりには
そんなに熱心に勉強していなかった。もともと、努力家ではなかった。
でも、受験勉強よりも知的好奇心をそそられる学術的テーマには
関心をもてたため、大学時代の勉強はそれなりに面白かった。
でも、社会人になるとしばらく学生時代の学びの時間は
過去の思い出となり、仕事をする上で必要なことを勉強した。
それはそれで役立ったし、今も学びながら歩んでいる。
そう、どのジャンルにせよ、勉強は生きていく上で必須である。
そして、仕事も落ち着いてきて、ある程度長年生きてくると、
生きることについて、世界について改めて問題意識も生まれ、
改めて人として学ぶべきことについて、もっと知りたい、考えたい
という意欲もわいてくる。
高齢化社会も一因かもしれないが、
近年、社会人向け講座を有する大学も増えてきている。
自分で学びたいプログラムを選び、楽しく学ぶ大人が増えている。
私の興味関心はいろいろあるが、
そのひとつはジャーナリズムと報道について。
世界を歩いて、日本で見ている世界と外から見る世界が違うという
ことを感じたり、世の中を正しく、自分なりに確かにみつめるために
正しい見方を身に付けることは大切と思い、このことに少しでも
触れたいと思うようになった。
広報の仕事をするなかで、メディアについて思うところが出てきた
という点も関係があるのだと思うが。
またジャーナリストという仕事、生き方に関心をもっているため、
あるべき報道人についても考えたいという動機もあっての今回の
学びである。
昨日、春の講座が終わった。ウクライナの今後、広島ビジョンのこと、
・・・自分だけでは知ることができなかった貴重な知識を得たり、
物事の見方を教えていただき、また少し世界観が広がったことをうれしく
思う反面、知ることで世界への危機意識も高まり、緊張を覚えている。
改めて世の中はしっかりみつめなくちゃいけない。と・・。
学ぶことで、早く気づいたり、身を守ったりすることもできるかも
しれない。
心豊かに生きるために学びたいが、それだけでなく、間違った方向に
いかないために学ぶことが求められる時代。
今回の講座で一番心に残った言葉は、恥ずかしくない生き方をしたい。
という講師の言葉。
一人の人として、こうありたい、こう世の中に関わりたいという自分が
ある以上、それに背く選択や行動をしないためにも、
恥ずかしい生き方をしないためにも、学びはやはり大切なのだ。
今回も深い洞察力をもち、揺れ動く世界の読み解き方を教えてくださり、
そして、恥ずかしい生き方をしないためのヒントを多くくださった
ブレないジャーナリスト、横村出さんの講義に、心から感謝したい。
いつも、こういう仕事をしなければと思わせていただいている。
講義の内容もであるが、その発信の姿勢こそが、ジャーリストであると
心から敬意を表している。
戦争の現場に出向き、命の危険を冒してまで、仕事をされてきた故の
強さを感じる。
自分にとって、恥ずかしくない生き方とは。
今日はそのことを改めて考えてみたい。