愚痴で終わらせない。

ずっと「愚痴」という文字、言葉は好きではない。
見た目、なんだかぐしゃぐしゃになったものが入っている感じで、
漢字の意味もあまりいい印象がない。
愚痴という言葉も使いたくないし、聞きたくない。
耳に美しいことばではないから・・。

ではあるが、生きているといろんなことがあるため、愚痴を言いたくなることや、
人から聞かされることもある。
愚痴は聞いていると、やっぱり言うものではないと思えてくる。
客観的に聴いていると、そういう見方だけではないけれど、違う見方もできると
思うけど・・と思うことがいろいろ出てくる。
でも、まあ話したいのであれば、できる限りは聞いてあげればいい。
まずは吐き出すことで楽になる人も、なる時もあるから・・。
でも、聞き続けることもしんどい。
だから言わない方がいい。でも・・というところだろうか。

心ゆるせる相手であれば、わかりあえる間柄であれば、ガス抜きの瞬間として
たまには良い。
でも、そこで終わってしまってはいけない。
愚痴をいったけれど、言うことで頭が整理でき、気分もすっきり
もう一度がんばってやる!と前向きになれるならば、まあ、時にはよし。
聞いた時間も無駄にはならない。

とは思うが、やはり愚痴は言わなくて済む方がいい。
それはおそらく日頃の自分の物事や人間に対する身の置き方、向き合い方と
大きくかかわっていると思う。
まずは自分中心にならないこと。感謝の気持ちをもつこと。
相手の立場になること。
俯瞰して物事を見るようになれること。
こんな意識を持ち続けることで、
愚痴から開放されることも多くなるのでは。
と思う。
我慢したり、自分の外と内にギャップがたまってくると
愚痴の素ができてしまう。
行き場のない詰まった感情、それが爆発するひとつの表現が愚痴
なのかもしれない。

と理解しつつも、聞き役になったときは
その時間を無駄にしないように、プラスの方向へ一緒に歩いていけるように
ナビゲートできたら・・と思う。

下を向く愚痴より、前を見た発言を心がける。
前向きで建設的なコミュニケーションを優先。

やっぱり、愚痴なし人生を目指したい。
もちろん、時にこぼしたくなる気持ちはわかりつつ・・である。



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