「真善美」を改めて

ふと、日常のさりげない瞬間、普段の風景のなかで、
昔習った言葉などが、よみがえるときがある。

今回の連休、消費を求める人々の列、その雑踏を潜り抜けるときに
なぜか、「真善美」という三文字が浮かんできて、
「しん・ぜん・び・・・か。いいな」と久しぶりにこの言葉をかみしめた。

学生時代に読んだ、懐かしい文字であり、おそらくドイツ哲学者のカント
の時代からの用語。さかのぼればギリシア哲学でもこの考え方はあったよう
であるが、理想の人間の有り様を表現した言葉であると理解している。

つねに、真なるものを目指し、善きことを行い、美しくあれ。
そういった存在であれ・・と。
情報もモノも多すぎて、とかく流されがちになりそうな現代社会において
常に本質を希求することは、迷子の人生にならないために大変重要である。

また、この「真善美」とは他人との比較ではなく、絶対的なものであるべき
であるから、自分なりの道を究めればよい。

雑踏のなかでふと考えることは、時々、普段忘れていたことや、普遍なる
テーマであることがある。
自分しか見えていないときには気づかないが、群衆を目の前に、ふと哲学者的に
俯瞰して見えることがある。
この瞬間を大切にしたい。人混みは苦手であるが、少し距離をおいて眺めるには
いい題材になる。

私は私の「真善美」な生き方を求め続けたい。

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