連休最終日。明日から本格稼働では遅いと、いつものごとく、先に走り始め、
体調、仕事ペースを整える。
一区切りして、ほっとしたとき、住まいの火災報知器が鳴る。
もっとも心臓に良くない音だ。
「火事です、火事です。6階で家事です。すぐに避難してください」
このアナウンス、過去にも何度か鳴ったことがあり、前回は夜も遅かったため、
かなりうろたえたが、今回は日曜の午後。
雨も降っているのに、家事か?
オオカミ少年ではないが、これまで何度も誤報であったとあとで知らされてきた
ため、今回もそうだろうと思いつつも、心臓がばくばくしてきて、
「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、持っていくものを冷静に
リュックに入れ始めた。冷静にといいつつ、もっと急がねばならないのに、
半分、今回も誤報だろうと勝手に決めて、ゆっくりやっている。これはいる、
これはいらない。母の形見ももっていく?パソコンは?・・・・
そうこうしているうちに10分ぐらい経ってしまう。警報音も聞こえなくなった、
前回鳴った救急車のサイレンの音もないので、やっぱり誤報か?でも?
そにかく、なんだかかなり時間を要している。こんなことやっていたら、火が回って
焼き死ぬぞ。と思いながらも、6階ときいたら、9階はどうしようもないのかも
・・・と生きるか死ぬかを想像しながら、取り急ぎ必要なものを持った時点で
思い切ってドアを出て通路を進み、エレベータホールに行くと、エレベータが
動いている。同じフロアの人も、外に出ようとしているが、あまり緊迫感がない。
なんだ、じゃ、大丈夫
じゃないかな。
それでも、恐る恐る下まで降りる。
1階まで無事降りると、普段会ったことのない方が
「誤報だったようですよ」
と親切に教えてくださり、お互い良かった良かったと安堵・・・。
そのときになって、背負ってきた荷物の重さがずっしり感じられた。
と、結局今回も家事でなく、本当に良かったが、なんで、いざというとき、
私はゆっくりしているんだろう。
焦ってもろくなことがないと、これまでの経験から思っているのか。
とにかく、いざ!というときに迅速でない自分に改めて、驚いた。
と同時に、自分は荷物をまとめて下に降りようとしているのに
火災報知器に反応せず、の住民の方もおられたようで、
いざ!というときにみんな大丈夫なのか、誤報が基本と思っておられるのか
そこも心配になった。
誤報が続くと、それに慣れてしまうのだろう。
地震も怖いが、家事も怖い。津波も怖い。雨も怖い。
そして・・・。
怖いことばかりの中で、いろんな経験を経ながら、日々生きている。
この連休で、一番刺激的だったのは、この誤報事件だったかも。
無事に部屋に戻り、普段の生活に戻ったとき、当たり前は、
当たり前ではないことを、痛感。
無事な瞬間を生き続けられるだけで、十分幸せである。
これからも、なんとか無事に生きていきたい。
それにしても、「いざ!」のときは、結構頼りない自分を改めて知り、
もっと強くならないとと思った次第。
一方、地震と雨で被害が増えている能登の方のことが頭をよぎる。
いつ何時、わからない。
真剣に、「いざ」について、考えよう。
ほんとの「いざ!」には大丈夫か?
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