言葉は残る。

道を歩いていたり、電車移動の途中。ほんとうに何気ない瞬間に、親の言葉が
突然、よみがえることがある。
「わしだって、一生懸命生きているんだ」
こんなことを最期の方に言っていたなあ・・・。思うように動けなくなって、
もどかしかったんだろう・・・。
また、ここには書けないような、思い出すとなんとも言えない気持ちになる言葉が
いろいろと思い出される。そのたびに心が痛む。

学歴のこと、時代のこと、自分ではどうしようもない、変えられない背景。
人はそれを宿命として生きているが、まさに親たちもそうであった・・・と
折々に発していた生々しい言葉を思い出すたびに、親の葛藤を今さらながら
感じる。ああ、そうだよな。

それなのに、自分はもっと優しい言葉を返せなかったのかと少し後悔もする。
自分では果たせなかった音楽の夢を、私に託した重さも、残した言葉とともに
蘇る。いろいろ苦労をかけたのだと、子供の頃の母の働き方を思い出し、
胸がいっぱいになる。
何気ない言葉を思い出すことで、「あの頃」が全部浮かんでくるから、
不思議だ。言葉は情景を引き出し、そのときの心情を想起させる。

母が私に残した最期の言葉は
「喧嘩せなあかんから、長生きせなあかんな」であった。
そう、彼女と私の関係のすべてを言い当てている名言だ。
喧嘩するほど仲が良かった、そうだ。

今は写真を見て話しかけるしかできないけれど、毎日のように
両親の言葉がよみがえり、今だったらこんな言葉を返したのに・・と
思っているこの2年間・・。

言葉は永遠だ。
その人が見えなくなっても、残るのだ。
だから、残っても悔いのない言葉を、日々選び取っていかねばならない。

言葉は相手に影響を与える。

良くもも悪しくも、言葉は残る。
受け取った人が気持ちよく受け止め続けられるように、
あたたかい言葉を残したい。

言葉には、その人の魂が込められている。まさに言霊だ。

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