京都は「市」がさかんだ。昔からお寺や神社へのお参りには、そういった
楽しみも不可欠で、その名残が今も健在だ。
月に何度か、日や曜日を決めて、さまざまなマルシェが開催されている。
たまたまお天気の良い週末に 偶然みつけ、たち寄った、平安神宮前での
フリーマーケット。
いわゆる骨董業者さんたちが出店しているようなプロの店ではなく、本当に
一般の人の参加、出店がほとんどのフリマ。
子供服100円とか、まあ確かにね~という激安のものから、まあ、いろんな
種類の古着や雑貨、骨董品がずらり。
色のきれいなセーターを見つけて眺めていると、その出展者の人がすかさず
声をかけてくる。
「これ、いいでしょう。色いい。モノもいい」
「で、ちなみにおいくら?他やったら、100円とか200円とか書いてあるけど?」
と冗談交じりに聞いてみる。
「そんな、これは100円とかということにはできないけれど、お客さんがいくら
と言ってくれたら考えますわ~」という交渉になる。そんな、買うつもりはなく
ても、そういうムードになってくるのが、フリマ。
ああ、こうやって値段を決めていくんだ・・・。どうしても買ってほしいオーラ
に負けて、財布を開く。「わかった、もらっとくわ」と、そのときの店主のうれしそうな
顔。かなり値切られたのに、それでもすっきり顔である。
最後には、「私、天神さんも、工法さんも毎月出ているし、また寄って」
とすっかりお友達気分になる会話。名前も聞かず、顔だけで覚えていくそれがフリマ。
他には、なかなか書い手がつかなさそうな衣類があり、その横にちょっと素敵な
アンティークなバッグも。
「これ、いくら?」
「それ、2000円、ついでにそこにある服3枚も一緒にもっていって。込みでいいわ。
私、もう大きい荷物持って帰りたくないので、よかったらもらって」
という感じで、結局はこの人はお金が欲しいのではなく、このものを誰かに
譲りたい、使ってほしい。捨てるに捨てられないモノを託したい。
そんな様子が伝わってきた。
その近くには、あるトランクを広げているお店。そこに雑貨を入れて来たのだろう。
もう少しモノが残っている。
「残ったら、嫁に怒られます~」とトランクに張り紙。全部売らないと家に
帰れないのだろうか?
売りさばき、荷物を減らすために利用するフリマ。
大量なモノを消費してきた人間、最後は何も持っていくことができない。
のであれば、今のうちから、早く人にいい形で渡るように。
断捨離、終活からも、フリマは有効な交換、清算の場である。
まだまだ実家にも、親の残した小物雑貨があるな=。と頭によぎるわが家のこと。
「実家のガレージででも縁側ででも、マーサ市やったら?」
との声に、それもありか。と思ったり・・・。
お金が欲しいのではなく、使ってもらえる人に使ってもらう。そんな
交換の意味が分かり始めた今日この頃。
モノへの執着はこの世限り。むしろ、早めに悔いなく活用できるのがいい。
人に託す。人生、そのことが増えてくるだろう。
それにしても、フリマは普段と違う人生観が学べる。
また、足を運びたい。フリマ。
しかし、売り切って帰りたいあのおねえさん、おばちゃんたちのパワーは
なかなかだ。