常に自分が主体的・能動的であること。

今、対話型AIに人々の関心が集まっている。
どんなことができる?どこまでできる?そんなにすごい?
知りたいことを入力すれば、瞬時に回答が出てくる。しかも
計算しつくされた情報が整理されて出てくる。
そのまま原稿にも使えそうな、まるで誰かがが書いたような
文章を、AIが見事に提示してくれるのだ。
検索すればすぐ必要な情報を見ることができるこの便利な時代に、
こちらのサービスの登場は自然のなりゆきで、歓迎されるのも
理解できる。

しかし、こんなにそれらしき文章をすらすら並べられては
困る、やってられない。
と危機感をもつ人も多いことと思う。
作家の仕事でも、このチャットGPTを使って賞をとる作家さんも
いたりすると、大変な複雑な気持ちになる。

どんどんツールは開発される。
人間はそのツールに使われてはいけない。
ツールを使うのは、あくまでも人間。私たちが主役。
こんなことがしたいから、このときに、このツールを使う。
とよく考えて手法を選択し、目的を達成するならば良い。
単に便利だからと、安易に利用するだけでは、考える力が
退化するだろう。

何でも流行るとそこにハマっていく人もいるが、
話題になっているから、便利だからといって、考えることもなく
利用することは賛成できない。
目的達成のために、その特性もよく理解した上で、効果的に
使うならば、良いと思う。
先日も企画をする仲間同士でこの会話になった。
「人手不足だし、アイデア出しぐらいは、このチャットを使って
それも参考にしながら自分たちで考え、まとめていくという使い方は
ありですね。もしかしたら自分たちだけでは思いつかない情報やアイデアが
出てくるかもしれないですしね。」
確かに、こういった使い方は適切だと思う。

自分の仕事は、AIと戦わない。
AIには絶対できないことをする。しよう。
改めて心に誓いながら、一方、相手をよく知り、時に活用したり
活用をすすめる場面もあって良いと思う。

大切なことは、あくまでも自分が主役。人間が主役。
ツールに使われる、踊らされることなく、
自分が考え、使う。主体性と能動性がここでも求められる。

人間にしかできないこと。ここを改めて考えながら
柔軟に、しなやかに生きていきたい!
このブログも、自分しか書けないことにこだわり続ける。

とはいえ、時間があるときにいろいろ試してみようとは思って
いる。主体的・能動的に生きるために・・・。

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