日々いろんな人に出会い、交流する。
その会話からいただく、さまざまな気づきや、疑問や、共感や、衝撃や・・・。
人と会うということは、化学反応であるため、いろんな結果がある。
自分の想像を越える表現や反応にも出会う。
共感、納得できる出会いはとてもありがたいが、そればかりではない。
しかし、考えようによっては、
疑問や違和感をもつ出会いにも意味がある、価値がある。
瞬間的に首をかしげたくなったり、不快に思う言葉には、
たとえ、自分には理解ができなくても、
発した人なりの背景や意図があったり、意思がある。
言葉の裏には、その人の経験、その人なりの思いがあって、
その言葉になる。
まずはその背景を想像してみる。理解しようとつとめる。
そして、自分だったらどう言うか?あるいは言わないのか?
も考える。
自分が不快に思ったり、傷つくことがあれば、
それは「良薬」と思うようにする。
そして、自分と違う考え方、生き方、そうなりたくないと
思う相手であっても、それは気づきを与えてくれる「瞬間の先生」
であると思うようにして、その存在に感謝する。
どんな人間でも、人に対すれば「師」となりうるのだ。
親は子供の頃から、反面教師であることが多かった。でも
その根底には愛があった。それはあとでしみじみわかること。
愛があるかどうかはあとでわかることも多いが、それは別としても
とにかく、反面教師は貴重な存在だ。
生きているといろんな人に出会う。
ベクトルの違う人にも多く出会う。
ずっと出会い続けるのか、縁が切れるのか。これはお互い次第
であり、今はわからないが、日々の出会い、コミュニケーションを
受け留め、学びながら生きていくことになる。
人と出会う以上、この学びは繰り返される。
その学びから、
人を傷つけない人、感謝ができる人、それが伝わる人に
なりたい。
人間関係は、生もので難しいが、お互いに「瞬間の師」である
ことを忘れずに。
人はいろんな衝撃と向き合い、傷を負いながら、癒されながら
強く、強く、たくましく育っていく。
良き「師」に出会い、自分もそうありたい。
さあ、今日はどんな師に会えるのだろう。
瞬間教師、相互教師。
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