今はもうお会いすることができない、新潟の酒屋さんのおかみさんが以前メールで
「先日、フジコヘミングのコンサートに行って、泣きました」と教えてくれたとき、
私にはあまりよくわからなかった。このピアニストの名前こそ、風貌こそテレビで
観たことはあるが、しっかり認識していなかったせいもあり、そんなすごいのか~と
いう程度であった。
今回、敬愛、尊敬するショパンの軌跡を追い、マズルカ島を訪ね、ショパンゆかりの地で
コンサートをされるドキュメンタリーを見て、なるほどと思った次第。
きっとおかみさんは、ピアニストの技術だけでなく、高齢になっても豊かに心を込めて
演奏するその表現力と、その存在自身に感銘を受けたのでは・・・と思った。
もう彼女には確認することができないが、きっとそうではないかと思う。
いろんなご苦労のあった半生のようだ。
そして60代になってから、ピアニストとしての花が開いたとのこと。
「あと、20年早かったら‥・と思うんです」
とインタビューに応えておられた。
それを聞き、60代から花開く・・。ということは、私にもまだチャンスはあるという
ことだ。と思わずうれしくなった。
なんだか、未来に希望をもつことができる一言である。
彼女はもう90歳を超える。それなのに、あんなに指が動いて、今も各地でコンサートを
続けておられる。
見習いたい。レベルは違えど、お客様に喜んでいただけたら、という思いは共通して
いる。
彼女は「魂のピアニスト」と呼ばれている。
なるほど。
さて、私は自分を名付けるとしたら、○○の○○○○◌?
どんなキャッチをつけようか?
フジコヘミングのショパンへの思い。
ノクターン2番は、お母さまが幼き日に彼女に聴かせてくれた子守歌であった
とのこと。音楽と母。母の影響。ここもちょっと共通する。
わが家ではショパンではなく、演歌が流れていたけれど・・・。
ショパンが病気療養をしながら作曲活動をし、ジョルジュサンドと暮らしたマズルカ島で
彼を思い、フジコさんが弾いたノクターン2番。きっとお母さまのことと、幼き自分のことを想い出しながら、指を動かされていたのだろう。
魂のピアニスト。さて私は?
60代からでも遅くない。
フジコヘミングさんの存在は、多くの高齢者にも、そして若い音楽家にも勇気
を与え続けることだろう。拍手をささげたい。
どうぞ、1日も長く活動を続けていただけるように祈りたい。
60代からの、○○のピアニスト
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