最後に、何を思い出すのか?

記憶がまだらになった高齢者の人たちとの会話は、とても勉強になる。
そして、そのコミュニケーションにもだいぶ慣れてきた。
何度も同じことを話す。そして昔の記憶は鮮明で、新しい経験は記憶されづらいようだ。

だから、毎回新しい。それは悪いことではないと、最近理解できるようになって
きた。
普通に会話をしているようで、違う。どこか曖昧なまま、輪郭が見えないような会話。
でもそれは、そういうもんだと思って、普通に会話する。

「おかげさまで、音楽を聴いて、人生を思い出しておりましたよ」
とあるご婦人に言われた。そう、音楽にはそういう作用がある。
この方は、人生の何を思い出されたのだろう?
と思わず想像してみた。そして、自分が年老いたら、人生のいつのことを
どんな時のことを、何を、どんな自分を思い出すのだろうか?
とも思った。

たとえば、今、仕事含め、日々熱いコミュニケーションをしているけれど、
そんなことも思い出すのだろうか?思い出さないかもしれない。何を優先して記憶するのだろう。もっともっと昔のことなのかもしれない。

同時に、母の最期の会話の記録を思い出す。
亡くなってから、病院のカルテを見せていただいたことがあった。
そこに亡くなる前の1週間の、母の言葉が記録されていた。
どうやら、自分の親のことを話していたようであるから、自分の子供の頃のこと、
親のことを思い出していたのだろうと推察する。
ということは、大人になってからのさまざまな悩みや葛藤のことは、きっと
忘れているのだろう。
そう思ったら、この日々のさまざまな小さな出来事は、大したことじゃない。
いつまでも悩むわけじゃなし・・・。最後はあいまい、ぼんやりになるかもしれない
から、と気楽な心持ちにもなれる。

さて、私は自分の人生の終末にいったい、何を思い出すのだろう?
できれば、楽しいことを思い出したい。きっとそうなるだろう。そうでありたい。
そのために、意識して楽しい思い出をたくさん残すようにしたい。
そして、
いっぱい思い出せるように、日々、心身、頭を鍛えておかねば!

すべては思い出になる。
良き思い出になるように、感謝と笑顔で。
今日から新年度が本格稼働。
いい思い出が残せるように!

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