本日3月26日は、母の旅立ち記念日だ。まる2年が経った。
当時から今日までのこと、思い出せば長いような、短いような。
最初は何かをこらえるように気を張って、気合を入れて、
踏ん張ってきたような。と同時に、大きな仕事を終えて、
気が抜け、心のなかにぽっかりできてしまった空洞を埋めるように、
より忙しくしてきたような・・・。
うまく言い表せないまま、時間が経った。
なんとかすべきことは乗り越えたし、また姿が見えない暮らしにも
慣れてきた。とはいえ、思い出せば・・・という気持ちは変わらない
ので、うまくコントロールしながら生きることに慣れてきたという
のが正しいのかもしれない。
今日、墓に持参する花は、やっぱり紫の花たち。
紫のカーネーションにトルコ桔梗に、カスミソウに・・・。
葬儀の日も、紫の花で会場をまとめていただいたことを思い出した。
親がいなくなっても、残った子たちは、生きていくもんだ。
そのことはよくわかった。
親なしの人生はありえないと思っていたが、なんとか生きられる。
本能なのか、毎日毎日、ちゃんと生きている。
でも、元気に生きてきてはいるけれど、
時間が経つにつれ、増してくるものがある。
それは、感謝の気持ちと寂しさ。
もしかしたら、この二つの感情は表裏一体なのかもしれない。
これはずっと消えずに、つながったまま私の中に存在し続けるだろう。
ありがとうね・・。
今日も語りかける。そして、与え残してくれたピアノに向かい、
母への気持ちを音でなぞってみるとしよう。
そんな、敏子さんをしのぶ記念日。
感情が絡み合ったまま、生きていく。
ありがとうね!
雨が心の涙を流してくれることだろう。
感謝を伝え、思いを奏でる記念日。
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