「つながっていたい」気持ち

母がいなくなってから、母がとくに親しくしていた方との交流を深めている。
母にしてきたように、何か珍しい食べ物があれば、花があれば、
何かあげたいものがあればもっていき、前は一切しなかった世間話もするようになった。
母をよく知っている人と、可能な限り、つながっていたいのだ。
その方たちに、5年でも1年でも、1日でも元気に長生きしてほしいのだ。
その方たちが元気でいてくださると、母も生きているような気持ち、一緒にいるような
気持ちになる。

姿カタチは見えなくても、誰かを媒介として、永遠につながっていたいという気持ち。
不思議なことに、その相手であるおばさまたちも、本当によくしてくださる。
母の代わりに接してくださっているのだろう。

一方、母が歩いていた道、通った店、よく迎えにきていた駅・・・などに
出向くと、いろんな思い出がよみがえって、寂しさとなつかしさがこみあげる。

人を通じ、場所を通じ、ずっとつながっていたい。
そんな気持ちは、これからもずっと消えないのだろう。

大切な人とは、時空を超えて、永遠につながっていたい。

そんなことを思う、命日前のお彼岸。

「雨降ってきたよ」
と、母と仲良しだったおばちゃんとの会話のあと、傘を貸してくれた。
「ありがとう。今度また返しにくるわ」
また会えることで、母ともまた、つながれる。

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