中身以前に、プロセス。すべてはコミュニケーションから。

コミュニケーションの観点から、このところの世の中の動きを見てみる。
たとえば、数の原理で押し通されたあの法案。違うアプローチだったら、どうだっただろうと考えながら観ている。
たとえば、私自身、法案の中身はよくわからない。おそらく一般人にはそんなものだろう。
でも、国を守る必要性は理解できるはずだ。日本人でいる以上、日本という国のことは大切にしたい。でも、法律のことはわからないから、きちんと広報すべき、きちんと教育もすべき、皆さんが理解をしてから決定しても、遅くないはず。
AIDMAの話をいつもしているが、理解も必要性も皆さんができていないうちに、独断的に決定してしまう・・。このプロセスに多くの方は異議を唱え、反対しているのではないか?この反対とは、法案の中身の反対(合憲・違憲含め)と同時に、プロセスについて反対の両方があるのだと思う。
ある幹部がこの法案について、大変わかりやすく説明をされていた。もし、この方が総理大臣だったり、その参謀であり、もっと最初から表に出てくる人であったら、と想像する。
語り口といい、理論性といい、自然に耳に入ってくる。現状では、話の仕方、表情、具体性、目線・・・いろんな意味でAIDMAの「A」に疑問・嫌悪感を抱いているのに、その先に進めるはずがない。
中身を理解している人には、プロセスはもう不要かもしれない、中身の議論からでも良いかもしれない。しかし、わからない方、しかも大切なお客様には最初の段階からきちんと心を尽くし、プレゼンしていかねばならないはずだ。
そして、どこを見ているのか?本当にお客さんを見ているのか、身内を見ているのか、はたまた自分の利益、立場なのか?そこも見られているよ。ということだ。
法案の中身以前の問題。伝えることが仕事であるべき人たちの、「コミュニケーションのプロセス」の大切さ。そこが欠如してることで、余計な反発もくらってしまっている・・のが今回の結果のように思う。
中身以前のプロセス。ここ、反面教師としてよく学ばせていただくとしよう。

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