コロナ禍では、残念なことが続いてきた。そして今もその余波は消えること
なく、いろんな企業の倒産、廃業を知り、心が痛む。
私がもう20年ほど愛用してきた練り製品の会社。京都の老舗企業だ。
いつもいつも、京都駅や周辺のお土産売り場で、そして市内の本店で数えきれない
ほど、購入していた。
この上なく大好きな味で、京都の練り物の代名詞はここ!と思っていたのだ。
この2~3か月の間、そういえば、売り場で商品をみつけることができず、
売り切れかなと思っていた。
先日は本店の前を通ったら、シャッターが閉まっていた。今日は休みかな?
でも、定休日とも書いていないので、おかしいとは思っていた。
ネットニュースでちょっと調べたら、なんと、最近倒産されていたことがわかり、
言葉にならないショックを受けた。地元の新聞に掲載されていたわけだ。
へ?あのおいしいチーズ入りのかまぼこが、はもしんじょうが、もう食べられない
の?愛しい人が突然と姿を消えてしまったような、なんともいえない虚脱感と
いうかなんというか・・。
とにかくショック。昨日も京都駅で、前は新幹線改札内の三か所の売り場に
あったことを思い、今は他社製品があるのを見て、本当になくなってしまったのかと
改めて思い、悲しくなる。
練り製品の低価格化による競争の激化、原材料の高騰、コロナによる業務用需要の
低迷、観光客の減少・・・などなどさまざまな要因が重なっての悲しい結果になって
しまったようだ。
創業は明治2年というから、150年ほど営業を続けておられたわけだ。
老舗はつぶれないと過信していた。
いつでも絶対にあると思っていた。でも、なくなってしまった。
こんなことになるならば、もっともっと応援すべきだった。とひとりで消費できる
量はたかが知れてはいるが、なくなるぐらいなら、もっともっと購入し続けるべきだった。
コロナ禍では、昔よく通ったお好み焼きさんが閉店したこともあり、お店はずっとある
ものではないことを痛感したが、今回は毎月何度も愛用していただけに、ショック
は消えないままだ・・。
気に入ったものを生涯食べ続けることができる・・・これは奇跡なのだろう。
あって当たり前ではない。だから、目の前の大切なものをありがたく頂戴するとしよう。
ああ、それにしても悔やまれる。どれだけあのブランドの練り物に癒されてきたことか。
なんとか復活する日は来ないだろうか。
わが人生の記憶のなかで、食にまつわる、消えないエピソードはいくつかあるが、
この練り物もそんひとつになりそうだ。
応援したかったら、行動で示す。
口だけでなく、購入する、口コミする。
それをやってこそ本当の応援になる。
応援者がたくさんいるかどうか?
ここも生き残りの大切なポイントだ。
ああ、それにしても残念・・・。
これからもずっと思い出し、惜しみ続けることだろう。