同じく12年、の記念日。

50歳で脱サラされ、作家として活動開始・・・。私が35歳で脱サラしてからは、
起業家の先輩として、またひとりで仕事をするクリエイターとして、
同じくマーケッター出身として、本当にお世話になった野村正樹さん。
「相互マネージャーやな」と、お互いに仕事を作りあっていた。
一緒に講演したこと、本を作ったことも、今となってはすべて宝の思い出。

東日本大震災の翌々日に亡くなって、12年が経つ。13回忌。
今日は命日になる。
震災といえば、同時に野村さんのことを思い出す。
野村さんは最期に、あの震災をどう感じられただろう。
震災がなかったら、寿命も変わっていたかもしれない・・と勝手に想像する。
震災に続いて、旅立ってしまった野村さん。
何か次の時代、これからの世の中を予知されていたかもしれない。
これからデジタル社会になるのを心配されていたことが、今も強く印象に残っている。

野村さんは、とにかくたくさんの執筆をされた。
書きながら、広報活動も熱心であった。
勉強会やさまざまな会合では、自分のミニ広報誌を必ず配っておられた。
「人生は営業だ!」と言われていたが、本当に自ら実践されていた。

とにかく尊敬し、共感できた。愉快な人生の先輩であった。
「お~い、いまお~」
野村さんにはそう呼ばれても、何も違和感なかったのが不思議だ。

震災の日、自宅に帰ったら本棚から野村さんの本が大量に落ちていた。
「おれの本、ここやで~」
その翌々日に亡くなられたのは、何かのメッセージだったのか・・
今思い出しても、不思議である。

などなど、野村さんとの思い出はつきない。
そして、野村さんのために作った曲「人生ななつ星」。
鉄道マニアでもあり、そのジャンルの執筆も多かった野村さん。

今日は野村さんのことを久しぶりに思い出しながら、
コンサートでもこの曲を歌うとしよう。

忘れてはいけない大切な記念日。
この方の存在が、自分の独立を後押ししてくださったのだから。

野村さーん。よく書き、しゃべり、飲みましたね~。
何年たっても、ありがたい存在。感謝を込めて。

大切な方の命日が増えてくるのが、何とも言えないが・・・。

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