記念日の意味。

12年前の3月11日のことを思い出す。
午後3時前、打ち合わせをしていた銀座のカフェ。天井から吊るされた照明が
左右に大きく揺れはじめたあの瞬間、言葉を失い、その後、日本中がパニックと
なった。携帯もなかなか通じづらくなり、その日の約束のキャンセルの連絡が
とれなくなったこと、何が起きたかあまりよくわからずに、その後、銀座から
有楽町へ・・。駅の前でたたずみ、ぼーっとしていた。
その後、これまで見たことがなかった避難する人々の長蛇の列の合間を抜け、
1時間かけて、徒歩で帰宅。途中、竹橋の毎日新聞本社に寄って、そこで掲示さ
れているニュースでこのことを知った。
えらいことになった。相方は大丈夫だろうか?いろんなことが心配になった帰路。
自宅では、いろんなものが散乱していた・・・。まあ、それで済んだのは幸い。
そしてテレビであの津波を見て震えた・・・。津波の恐怖を初めて知った。
と、ここまで書きながら、さまざまな場面が次々とよみがえってくる。
コロナで世界が止まった頃に通じる、これまでに体験したことのない非日常
の世界。

あれから、12年。とても長い時間が経過したような気がする反面、まだ最近の
ことのようにも思える。
実被害がほとんどなかったのは、本当にありがたかったが、東北のみなさんにおかれ
ては本当に苦難の日々を過ごされ、その努力に頭が下がる。
ほんとうの復興はまだまだですよ。と最近でもそのような声を聞き、震災の影響の
大きさを改めて知った。
原発の問題は、今も解決されておらず、12年前の地震が改めて悔やまれるとともに
「想定外」は起きるということを、学ぶきっかけとなった。

家族と別れることになった方々におかれては、この記念日は何年経っても
変わらない気持ちでおられることと思う。
もちろん時間の経過の中で、変化したことはいろいろあっても、それでも
そのときの別れは永遠に悲しいものだと思う。

記念日は思い出し、改めて大切な人に心寄せる日。
そして、そのとき得た教訓を改めて思い出し、その経験を忘れないように気持ちを
引き締める日。

天災はいつやってくるかわからない。間違いなく、当時よりも起きる確率は高く
なっている。
今日、改めて、もし起きたら・・を考え、備えについて確認、できることはやって
おこう。

「自然は人間と違って、感情がないんですよ。」
震災後3年、再会できた大船渡の知人が現地で語ってくれた言葉が今も耳に焼き付いて
いる。
震災やパンデミックや・・・さまざまな脅威が人間世界を襲う。
いつ命が終わるかわからないから、備えをしつつ、ちゃんと生きていこう。

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