いない時間に慣れる。

もうすぐ母を送ってまる2年。三回忌ということになるが、
実感はあるようなないような。
不思議な時間をただ、前に進んできたという感じか。
親がいない、喧嘩をしない、夫婦喧嘩を見ない、・・・そんな生活。
今は、かつて住んでいた場所に行き、その空間に触れ、写真を見て、
在りし日の記憶を
たどる。笑顔の写真に話しかける。
そんな暮らしに慣れるための2年間だったかもしれない。
そう、いないことに慣れる。

寂しさや悲しさと向き合い、いなくても生きていく。
このことに慣れ、本当の意味で自立する2年間だったのかも。
と、過ぎてみてそう思えてくる。

人間は、不思議なことに慣れていく、忘れていく生き物だ。
だから明日に向かって生きられる一面もある。

これから3月26日に向け、思い出すことが多くなる。
ああ、この日が喧嘩した最後の日。デイサービスに送った最後の日。
救急車で運ばれた日。見舞いできないのに病院に通った日々。そして・・・。
まだまだ鮮明な思い出をかみしめながら、変わらぬ寂しさのなかに
その存在に感謝の気持ちが湧いてくる。

今日は、少し早いが目を閉じて、ありし日の親に静かに思いを
寄せたい。

いない時間がこれからも続くが、それは、目で見えないだけのこと。
心の中では見える、会える。

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