「時間の長さ」は理解の尺度になりえるか?

多くの人が疑問?懸念としている法案が国会で通過しそう。数の原理を優先する人にとっては、最後は議席「数」でもって、強行突破するのが正論のようだ。
ここでの数の原理の解釈とは、「一定の時間数をもって『審議は十分に尽くされた』」という不思議な結論になるようで、一度かしげた首が、そのまま元に戻らない状態だ。
100時間であろうが、1000時間であろうが、理解していない人は多い。日増しに増えていく「反対」の声にはきちんと丁寧に向かい合い、ときには見直す、出直すこともあってよいのではないか?
なぜ、今そんなに急ぐのか?あまりに稚拙すぎる、説得力のない説明で、国民への理解が深まっていると思っているらしいが、なぜ、そんな判断ができるのか、本当に不思議で仕方ない。この業界の人は、国民という一般の人とは、やっぱり違う世界に住んでおられるのだろうか?とまたもや、首をかしげてしまう。
何事も十分に調査をして、その上で問題解決の手法を見出していくのが今の世の中の有るべき道筋だろう。アメリカが教えてくれた「マーケティング」とは、市場をしっかり見据えることから始まるはずだ。政治の場面でも、同じことだと思うのだが。市場をしっかり見る。現実をしっかり見る。凝り固まった狭い世界の中から、真の繁栄、幸せの発想は生まれづらい。
数の論理ではなく、質。共感、感動への道づくり。その重要性に気づかない人たち。
わかりやすく説明できないものは、伝わるわけもない。ほんとうにコミュニケーション力をもっと学んでほしい。ほんとうにこんな国に、税金を払うのも、いやになる。
この猛暑のなか、屋外で訴えている人たちのことは、どう思っているのだろうか?
私自身は、その屋外の活動には合流できなかったが、さすがにこの状況を知り、少しはわかってくれそうな某大臣のサイトに懇願のメッセージを書き込んだ。ダメもとだ。何もしないわけにはいかない。もっと早くすればよかったが、しないよりは良いだろう。時間の長さよりも、理解される大切さを選んでほしい。いつ終わらせるか、ではなく、いかに理解をしてもらえるようにきちんと伝え続けることができるかなのだ。いつも、セミナーで話している「コミュニケーションとは、自分が伝えたか・・ではなく、相手に伝わったかが一番大切。」という言葉は今回も当てはまる。
伝わってませんよ。と世論調査の結果が出ていても、それでもそのまま行こうとする・・・やっぱりどこかの星の住人たちだ。申し訳ないけれど・・。

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